ブックレビュー

「教養のコンツェルト──新しい人間学のために」に関するレビュー

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読みはじめた。とまらない。とにかくおもしろい。
「教養」を獲得するための道しるべに。

佐藤正樹(広島大学大学院総合科学研究科教授)

教養は「全体」へのまなざし

 640ページを超える大冊にいささかしり込みをした。……
 この書に登場するのは、どなたも世界の第一線で活躍され、そのお名前だけでも存じあげる方ばかりである。ならばと気をとりなおして読みはじめた。とまらない。とにかくおもしろい。卓越した叡智が、それぞれの分野の最先端のご研究やご自身の経験を、素人のわたしたちにも理解できる平易な表現で話してくださる。司会を務められた方々も巧みに話題を引き出し、院生諸君の協力もあった由、対談をよどみなく、ゆるみなくまとめあげられ、そのうえ懇切丁寧な注には教育的配慮さえ感じられる。(中略)
 テーマの異なる26の章のどれをとっても、また、各章の個々の部分についても、わたしは感動と感興とを禁じえなかった。この書をわたしはまず若い学生諸君に薦めたい。ありとあらゆる研究分野の最先端の話題をこれほどわかりやすく、おもしろく解説した本はそうあるものではない。書名を引用するなら、本書は「教養」を獲得するための道しるべにもなる。しかしここには、今日の学術研究の現状にたいする苦言なども、包み隠さず披瀝されている。その意味では、いま研究に携わる者にとっても本書は有益である。(中略)
 ただちに役立つとはかぎらない分野の研究者にも本書は注文をつける。研究を人格から切り離すことをいましめ、研究者に倫理と礼節という広義の教養を身につけるべきことを要請する。実は長きにわたり人類を悩ませてきた古典的課題である。
 これらの対談がしばしば回顧談をともなうのは興味深い現象である。ここに登場する識者たちは、かつての恩師や先輩、同輩たちの先駆的な業績と学者としての基本的な考え方、思想といったものを、深い敬意をこめて熱っぽく語る。わたしは和辻哲郎の『孔子』を思いだしていた。人類の教師といわれる人々、釈迦、孔子、ソクラテス、イエスの教えがじかに届いたのは、ある地域の局限された範囲を越えない。釈迦におけるガンジス中流域、孔子の黄河下流域、ソクラテスのアテーナイ、イエスの「縦四十里横二十里の小地方」。その彼らがなにゆえ人類の教師となりえ、今日なお人を導きうるのか。その秘密は弟子や孫弟子の存在にある。先師の存在と教えとを、敬意と理想化の態度をもって語り伝えた弟子たちの存在が、彼らの教えを永遠ならしめたのだと和辻は語っている。
 本書を読む学生諸君は、敬意をもって語られてしかるべき知の伝統に立った刺激的環境のなかで学びうるわが身の幸福を思うべきである。そして師との出会いを大切にし、そこで学んだことを伝える義務を引き受けてほしい。これもまた本書の託す希望である。
 個々の研究者はまずもってその研究を深めるべきである。しかし大問題の解決に寄与するべくそれを書斎と実験室から解放しようとするなら、自分がそこでどのような役割を引き受けることができるのか、何をなしうるのか、そして何をなしえないのか、という想念に導かれるであろう。それはさしあたり空想のようなものかもしれない。しかし空想はエネルギーにみちてはいるが、ときに無秩序であり、方向性をもたない。その空想のエネルギーによりどころと秩序を与え、自身の研究分野を「全体」に寄与しうるよう方向づけるものが「教養」である。「教養」はまた、自分がなにをなすべきか、なにをなしてはならないかをも教えるだろう。ここには研究者の人格の問題が関与する。人格の問題、倫理と礼節としての教養は一種の「美学」だ、という指摘はすばらしい。
 教養は研究者を外の世界へと秩序づけつつ導き出す。外にはまた別の分野の研究者が教養に導かれて待っている。さまざまな分野の専門家はこうして集い、いわゆる複眼的に問題を観察する契機と能力とを得るであろう。これが「全体システム」を構築し、「未来可能性」を確かなものにする希望を人間に与える。教養は「全体」へのまなざしを可能にする。各分野の専門家にとって、「教養」は外部への働きかけをうながす一種の秩序エネルギーである。外に向かって手を差しのべれば、その手を握りかえす別の手があるだろう。それは教養がなしとげる奇蹟のようなものだ。
 本書全体のメッセージは一貫しているようにわたしには感じられた。実益と有用だけでない大学の力量が試されるときが来ている。本書の語る夢と理想を語りつづけよう。なぜなら、いま現に起こっている大事件、大事故は、教養によって結ばれた各研究者の集団的登場を待っているからだ。いや、本書の語る歴史的実績は、それがまちがいなく可能であることを証明しているではないか。

『人環フォーラム No.30』2012年3月20日発行 第30号 42頁・書評 より
編集:『人環フォーラム』編集委員会 発行:京都大学大学院人間・環境学研究科
協力:同委員会委員長・間宮陽介先生

人間について、自然について、環境について「学ぶ」こと。

京都大学の機関誌『人環フォーラム』(No.1〜26)に掲載された対談、鼎談、インタビューなど26編を集成し単行本化。

『『週刊 読書人』2011年7月15日(金)「日本図書館協会選定図書週報」 より

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