「樹響 でいご村から」に関するレビュー
無名の民の多様な「生」照らす
全共闘世代の雰囲気を、青春時代に体験した人が、生活や社会や個に帰って、例えば、村上春樹を始めとする作家たちが、時代の感性を取り込みながら書いている。春樹の作品世界は時に社会や現実にある奇妙でねじれた関係を生きる人物が色濃く出たりする。大城貞俊もその世代であるが、人間の描き方がやはり違う。
作者が「椎の川」以来、詩から小説へ傾注して書き続け、沖縄を書く作家としての位置を確立しているのは周知のことだ。今回の作品集ではさらに多彩に描いている。
父を戦争で母を病気で亡くし、上の姉は蒸発、下の姉は米兵と結婚、妻にも病気で去られ自らも心臓の病を持つ火葬場の男を描いた「鎮魂 別れてぃどいちゅる」、知的障がいのある、村の娘加世子や学生運動家で自殺する文学好きな涼子との付き合いを描いた自伝的な「加世子の村」、ホステス同僚で堕胎経験をもつサユリとミキと脱走米兵との同棲生活を描いた「ハンバーガーボブ」。
沖縄の、無名の民の、様々な生を照らすのが、この作家の文学なのだ。戦争の記憶者、自殺者、障がい者など沖縄的現実の生の痛みを描いた作品に「生きる切なさ」や「人の生は哀しくて美しい」の慈しみの感情がある。それは詩的で抒情的な情景にも表れる。
例えば「加世子の村」の結末。農道で夕日に向かうように老婆を運ぶリヤカーを押す加世子が〈ぼく〉を見つけて手を振る。〈ぼく〉も何度も手を振る。夕日を背景に加世子は影となって、〈ぼく〉は淡く照らされて浮かぶ。うまいなと思う。描写のほろ苦さが何ともいえない。いい小説だ。
「でいご村から」も、〈戦争の残した傷跡〉という作者がこだわるテーマを訴える作品である。沖縄戦で愛する家族や恋人を失った一家の悲哀の物語だが、首里一族の末裔(まつえい)、村人との距離という構図は古くさくないかと思った。あとがきの「沖縄を描くことで普遍的な世界に到達する」に呼応して〈沖縄文学〉に文体表現の新しさと多様描写を求めたくなった。
松原敏夫(まつばら・としお)・詩人
2014年5月25日、琉球新報(読書欄)より