「「竜馬」という日本人──司馬遼太郎が描いたこと」に関するレビュー
“司馬史観”と竜馬
これで何度目であろうか。竜馬ブームがまたぞろ凄い。この旋風、坂本竜馬そのものから吹いてくるのは言わずもがなだが、どうやらそれだけではなさそうだ。かようなる人物を日本人が国民的な規模で再発見、再確認した、というもう一つの「奇跡」が過去になかったなら、果たして今のブームがあり得たかどうか。
いな、あの高度成長の真っ只中に創られた司馬遼太郎の竜馬像を、人々はいまだに忘れがたく、閉塞感の漂う今日、あの幻をなおも見果てぬ夢として追い続けている、というのが実情ではなかろうか。
こう考えた時、司馬の竜馬像をこの時期あらためて俎上に載せ上げた本書が、まことに時宜を得たものとして浮上してくる。
著者はすでに『坂の上の雲』『功名が辻』などの司馬作品を、特に比較文明論的な視座から読み解くことに実績を積んできた人であるが、本書でもその強みが十分に発揮される。
司馬は、幕末にあって維新回天の切っ掛けを成した竜馬を「ただ一人の日本人」と規定していた。著者は小説を詳細に腑分けし、また背後にある作家の歴史観を探って、司馬のこの視点の拠って来たるところを明らかにしてゆく。が、それは同時に、当の司馬史観なるものの核心が実はこの作品にこそ結晶化している、これを証しする作業に他ならなかった。その結果我々は、竜馬と彼を取り巻いた人物たちが見事に司馬一流の文明史観の流れに位置付けられるのを知るのである。
しかも論が展開されるに当たっては、『竜馬がゆく』他の作品を援用した補助線がふんだんに引かれ、さらにこの作家の膨大な文字量からの適切自在な引用が功を奏して、読者はあたかも司馬遼太郎自身が自らを解説しているかの妙を体験出来る。これぞ類書には味わえない醍醐味ではないか。
評・金井英一
『望星』東海教育研究所 2010年6月号 BOOKS より
比較文明論的な視座から詳しく読み解く!
〈幕末において「ただ一人の日本人」であると自覚することになる「竜馬」の成長をとおして「日本人」の在り方を深く考察した『竜馬がゆく』を、比較文明論的な視座から詳しく読み解く〉司馬遼太郎は『竜馬がゆく』で何を描こうとしたのか、さらにはグローバリズムの意味を問い、転換期といわれる今日に竜馬があらためて注目されるのは何故なのか。1949年生まれ(団塊の世代)の著者が、比較文明学者の立場でこの作品の構造に挑む。ここでは、幕末の時代背景を「黒船」というグローバリズムの観点で捉え、竜馬という「日本人」の誕生を浮き彫りにしてみせる。竜馬にとっての思想、革命、新しい公・日本のイメージを通して、維新に向かう人間群像が見えてくる。このことは、司馬の歴史観すなわち近代日本のあり方、評価に関わってくるし、この国の「かたち」にこだわった作家・司馬遼太郎を論じる上で不可欠の考察といえよう。
『出版ニュース』 2010年1月下旬号「ブックガイド」 より
日本とは、そして日本人とは何かを問い直す!
国民的歴史小説『竜馬がゆく』や『世に棲む日日』『花神』などを、比較文明学の第一人者が精細に読み解き、「日本」を問い直す。
『週刊 読書人』2010年2月12日(金) 「日本図書館協会選定図書週報」 より