ブックレビュー

「アメリカ〈帝国〉の苦境」に関するレビュー

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統一的ルールで世界秩序を
構想する拙速を戒める妙薬的な書!

 ハリウッド映画を見慣れていると、フランスやイタリアの映画を見るとき、初めの半分ぐらいはどんな展開になるか分からず、何があるのかと思いながら見続けることがある。ドイツ史専門のイギリス人が書いた本書も、同じような思いにさせられるところがあるが、何しろ書き出しが興味深い。
 著者は、アメリカではローマ帝国になぞらえてアメリカ帝国を論じるのが流行しているが、1776年の独立宣言と同じ年に出版されたギボンの『ローマ帝国衰亡史』とアダム・スミスの『国富論』が、現在の世界情勢を考えるうえでも鍵になると指摘する。
 何のことかと思っていると、ギボンが考えたローマ衰退の原因は、もともと各地の神々を横並びに崇拝する多神教の下で、相互尊重を秩序の要としていたのをやめ、一神教のキリスト教を国教にしたことであり、スミスも市場ばかりでなく道徳を重視していたことを、読者に思い起こさせようとしているのだと、次第に分かってくる。
 本書のテーマは、統一的なルールや市場を基礎にして世界秩序を構想するのでは、現在の世界情勢をマネージするのが容易でないと警告することにある。性急に経済危機の克服や世界秩序の安定化を論じやすい昨今の日本人にも、もっと長い目で深く考えなければならないと諭していると見ることができよう。
 論点を歴史のアナロジーで説明しようとするので、果たして適切なのかと腑に落ちないこともあるが、その分歴史に思いを馳せながら、歴史の深みで物を考えるとはこういうことかと改めて教えられる面もある。
 本書がアメリカ帝国の選択肢として取り上げるのは、EUの例である。本書の特徴は、それをローマ帝国ならぬ、神聖ローマ帝国に類似していると指摘している点である。ローマ帝国は、統一的なルールを普及させて統治した。それに対して、神聖ローマ帝国は、ハプスブルク家が婚姻によって版図を広げたといわれるように、各地の支配権を尊重しながら国境を超えるネットワークを築いた点に、帝国維持の秘訣があった。同じように、EUも試行錯誤を繰り返しながら、ゆっくり時間をかけて拡大してきたのである。
 それは、経験に裏付けられながらしっかり基盤を築いてきた辛抱強い作業の成果なのであった。本書は、すぐ役に立つモデルを提示しているわけではない。むしろ安易な想定に次々に水をかけ、拙速を戒める妙楽的な著書といえる。

五十嵐武士・桜美林大学大学院国際学研究科教授

『週刊 エコノミスト』2009年6月30日号 書評 より

ローマとの絶妙の対比!

 本書はアメリカ論だが、以下のような二重の構造を持っている。(1)アダム・スミスとエドワード・ギボンが、ローマ帝国を上昇期に入った18世紀の大英帝国を計る尺度に使って、それぞれ『国富論』と『ローマ帝国衰亡史』を書いた。(2)著者H・ジェイムズが、二人の尺度を合衆国に対して用いた。
 すなわち、スミスとギボンが上昇期の自国に衰退の影を予測すべく、ローマ帝国にその範を求めた点では予防医療的だった。他方、ジェイムズは衰退期に入った合衆国を診断する顕微鏡に二人の解釈を使った点では応急医療的である。予防医療は悲観主義に基づき、応急医療は楽観主義のツケである。
 英の悲観主義が上昇期に起きた原因は、合衆国の離反がよき警告となったためだ。他方、合衆国の最盛期、同盟国の離反はなく、警告はもっぱら冷戦の相手からしかこなかった。ギボンは、古きローマと同時に新生アメリカの動向にも注目していた。ならば、ジェイムズも、新生EUを注目することになる。
 右の構造は、合衆国の「文化多元主義」とローマの多神教、ブッシュ政権の支柱だった「キリスト教右翼」という「文化一元主義」とローマにおけるキリスト教の勃興との絶妙の対比をもたらす。この異質な勢力の確執は、ローマと合衆国の「苦境」の根幹だ。アダム・スミスは富の配分の不平等と分業体制が人心を荒廃させることへの防腐剤として宗教を考えたが、右の「絶妙の対比」こそ、多元主義による繁栄と貧困、宗教による融和がかえって人心の硬直を生む「苦境」の連鎖の表れなのだ。
 合衆国の「苦境」は、その覇権が上位24カ国の武力総計を凌ぐ大規模な武力に依存する点にも露呈している。他方、EUは武力より、合議機構でEU諸国民の不満を軟化させてヨーロッパを統治する形で「苦境」をも軟化させてきた。

越智道雄・明治大学名誉教授

『東京新聞・中日新聞』2009年6月28日(日) 読書欄 より

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アメリカ金融業界の破綻は予見されていた!

 アメリカと銘を打っているが、原題は『ローマの苦境』である。
 2000年前のローマ帝国の経験をモデルとしながら、現代の国際秩序の危機を見通そうとするもの。
 1776年のアメリカ独立宣言とともに、A・スミスの『国富論』とE・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』が出版されている。これら古典でもある二書に立ち戻れば、グローバル化する現代世界の諸問題も歴史のコンテキストのなかで解きほぐすことができる。そう語る著者の試みは魅力的である。
 不毛な辺境でも帝国の威信にかけて防衛する。そのおかげで「ローマの平和」の下に広大な繁栄が訪れたが、不平等も目立ち不満がくすぶる。反乱や分裂の芽を摘みとるにはイデオロギーが必要だった。それは「貧しき者は幸いなり」と唱えるキリスト教であった。多神教世界帝国は一神教世界帝国に変貌したのだ。
 現代になぞらえれば、多神教とは多元文化主義だと著者はいう。そこにはルールに基づく秩序がいる。それが緊張状態になるのは、不平等が目につくときと急速な変化に対応しなければならないときだともいう。二つの問題はしばしば一緒におこる。
 それを解決するには、帝国主義による圧力か、さらなる繁栄で貧困を追いやるしかない。かの9月11日後の議論は二つをめぐるだけだ。
 ローマはどちらもやったが、不満足だった。前者は傲慢なけんか腰になり、後者は傲慢な保護者面になる。
 それは現代のジレンマでもあり、世界経済の中心にいるアメリカ〈帝国〉の手腕が問われるところ。その〈帝国〉の威信が低下しつつあるとき、外交政策と国際秩序をめぐる議論には歴史的洞察力がいる。
 18世紀の大英帝国を背景とした二人の思想家をもちだすのは著者の慧眼(けいがん)である。スミスは「常日頃反省することで」内省の習慣になじみ、「自己愛による歪(ゆが)みを是正」すべきと説く。昨今のアメリカ金融業界の破綻は予見されていたのだ。
小林章夫訳。

本村凌二・東京大学大学院総合文化研究科教授・西洋史家

『読売新聞』2009年5月24日(水) 文化欄 本よみうり堂 より

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