ブックレビュー

「坂口安吾 戦後を駆け抜けた男」に関するレビュー

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『坂口安吾 戦後を駆け抜けた男』相馬正一 著
新たな立体的評伝

伊狩 章(新潟大学名誉教授)
『新潟日報』2007年5月20日(日) 読書欄 より

 坂口安吾の生誕百年ということで、フォーラムだの特集だの催しがつづいた。あの世で安吾はほくそ笑んでいるか、苦笑いしているか。
 その安吾の評伝にまた一冊、大著が加わった。
 相馬正一「坂口安吾」、副題に「戦後を駆け抜けた男」とある。安吾を主人公として戦後の文壇社会を描写記録した含みがある。
 著者が上越市に勤務したころ、地元の文芸同人誌「文芸たかだ」に連載、のち一本にまとめた「若き日の坂口安吾」(1992年・洋々社)の続編となるもの。全文十七章千枚に及ぶ大作である。
 著者は早く太宰治の実証的研究で知られ、上越に移ってから同じ無頼派安吾に手を広げた。
 氏一流の徹底ぶりで、文献資料を博捜(はくそう)し、安吾の足どりを眺望、分析、立体的伝記文学となしあげた。型破りの非常識人間坂口安吾の文学と生涯とがここに遺憾なく描き出されたといえる。
 「堕落論」「白痴」「志賀直哉批判」「矢田津世子」のあたりは、在来の通説と重なるところもあるが、評伝の大概は新資料、新見解によってユニークな発想が多い。
 安吾の経歴、流行作家であることなどを全く教えられず、ただ一枚安吾の顔写真だけを見せられた易者某は、その観相結果で「この男は反家庭的、放浪的、常識的な相がある」と断じ安吾も納得したという(第十二「巨漢安吾の褌(ふんどし)を洗う女」)。安吾の自信過剰、独断は自らの生活を破壊し、周囲を苦しめた。三千代夫人などが最大の被害者となった。
 麻薬中毒、精神病棟入院、税金不払い闘争、競輪判定不正闘争など(第十五「負ケラレマセン勝ツマデハ」)には、独善的エネルギーの憤出や過度の思い込みがあった。
 そのほか作品に対する展望もきめ細かく適切、斬新である。「不連続殺人事件」以下十二編の推理小説の解析、「桜の森」その類作「夜長姫と耳男」の系列作、「柿本人麿」以下史伝七編、「サスペンス・ドラマ『信長』」、未完の長編「火」などの解説はいずれも在来研究に見られぬ精緻(せいち)さを備えている。
 以上、安吾研究の新たなる一冊の登場を喜び、作品と並行して、かたわらに置かるべき立体的評伝として推薦を惜しまない。

太宰研究の第一人者が語る坂口安吾論

国見修二
『文芸 たかだ』2007年1月25日発行 287号 より

 安吾生誕百年の節目を迎えて、県内外において様々なイベントが行われたのは承知のことである。坂口安吾文学賞の制定は、安吾の名を日本中に定着させた感がある。
 その坂口安吾を本格的に論じた本著『坂口安吾──戦後を駆け抜けた男』は、安吾生誕百年にふさわしい出版となっている。戦後の売れっ子作家となった時代から、49歳でこの世を去るまでの、安吾文学の本質を作品と時代背景から見事に捉えた労作である。
 相馬先生は世に知られているように太宰研究の第一人者でおられ、定評ある実証主義の手法は、この著書でも十分に生かされている。安吾文学を分かり易く説明され、その魅力を十分に堪能できるのは、著者の綿密な説得に適う引用の巧みさにあると言えるだろう。
 安吾文学のバックボーンを「時代の本質を洞察する文明批評家と豊饒なコトバの世界に遊ぶ戯作者とが同居しており、それが時には鋭い現実批判となって権力の側の独善さを糾弾し、時には幻想的なメルヘンとなって読者を耽美の世界へと誘導する。」ものとし、作品や手紙、当時の文章から丹念にそれが立証されている。小千谷市出身の西脇順三郎に、シュール・レアリズムの影響を認めているのは、新しい視点であり、初期安吾の思想形成を考える上で、貴重な手がかりと言えるだろう。
 また、代表作となる「堕落論」の誕生を戦時下の「日本文化私観」や「青春論」に求め、国家権力に組しない精神を戦前も戦後も保っていた数少ない作家としている。
 本著の構成は「堕落論」から始まり「白痴」「桜の森の満開の下」、「信長」などの歴史物「安吾新日本風土記」などが年代順に論じられている。
 本著が文学の評論書であるにもかかわらず、実に楽しさを感じるのは、坂口安吾を中心としながらも、太宰治、織田作之助、安吾の恋人の矢田津世子、小林秀雄等が登場し、当時の文壇事情が堪能できるからである。
 例えば太宰の死について、安吾は「フツカヨイ的衰弱死」として自殺説を否定している。また、文壇の長に立つ志賀直哉に真っ向から歯向かう無頼派は、欺瞞に満ちた現代社会を痛烈に批判することと重なり、すがすがしい気持ちになってくる。
 最終章「おわりに──詩魂と淪落と」において、次のように記される。
 「坂口安吾の〈人と文学〉を追跡してみて痛感したことは、伝説化された実人生に対する興味もさることながら、長編・短編・エッセーを問わず、安吾の作品はいずれも理詰めの説得力に富んだものばかりだということである。(中略)この文章の魔力を生み出している源泉は、おそらく天衣無縫の詩魂と若い時に学んだ印度哲学とが融合発酵して醸成された淪落の思想であろう」
 ここには安吾文学が後世まで残る確信と、安吾文学への賛歌が伺える。太宰に比べ読者が少ないとされる安吾文学。(特に女性)安吾の誕生から戦前まで論評された「若き日の坂口安吾」と本著を併せて読んでいただければ、安吾文学の良き理解者となることは間違いないだろう。安吾の〈ふるさと〉が呼んでいるような気がするのは私一人であろうか。
 相馬先生は安吾を「日本における最後の文士」と捉えられているが、先生ご本人こそ、文学研究の、それを超越した「文士」に他ならない。

遂に出た!!
安吾文学解読の決定版

『文芸 たかだ』2006年11月25日発行 286号 より

 現在、文芸たかだ(以下、本誌)に「檀一雄の生涯と文学」を連載中の相馬正一氏は、平成元年7月刊の本誌第182号から「安吾追跡」の表題で連載を続け、平成4年5月刊の第199号で《第一部—出生から敗戦まで》を終了し、これを『若き日の坂口安吾』の題名で同年10月に洋々社から上梓した。その後「井伏鱒二の肖像」の連載を間に挿んで、平成9年7月刊の本誌第230号から再び「安吾追跡」の《第二部—敗戦から死まで》の連載を始めた。平成12年11月刊の第250号で終了、400字詰原稿用紙で600枚を超す労作であった。
 実証主義の立場を執る相馬氏の論考は説得力に富み、読み易かったので、我々は《第二部》の一日も早い上梓を期待していたが、その後入手した新資料を踏まえて補筆したい箇所があるということで上梓が見送られてきた。今年は安吾生誕100年に当るので、この機会に上梓することを考え、7月頃から補筆改訂したところ、完成稿は約800枚に膨らんだという。
 題名も『坂口安吾—戦後を駆け抜けた男』に改め、本年9月に同氏の『国家と個人—島崎藤村「夜明け前」と現代』を出版した東京の人文書館から刊行された。表紙カバーの装画には、安吾の代表作「桜の森の満開の下」に因んで、三岸節子画伯の傑作「さいた さいた さくらがさいた」の絵が使われている。
 相馬氏は本書の「あとがき」で安吾文学の特質に触れ、「安吾文学の中には、時代の本質を洞察する文明批評家と豊饒なコトバの世界に遊ぶ戯作者とが同居しており、それが時には幻想的なメルヘンとなって読者を耽美の世界へと誘導する。……安吾が世を去ってすでに半世紀も過ぎたのに、安吾文学はすべてのジャンルに亘って今なお少しも色褪せていない」と述べている。本書によって安吾文学の魅力に浸ってみたいものである。

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