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「檀一雄 言語芸術に命を賭けた男」に関するレビュー

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伝説の作家の知られざる足跡を辿る!

 独自の文体の作家として定評のある檀一雄。放浪の吟遊詩人として波瀾にみちた60余年の生涯をひたすら己に忠実に生きた文士。伝説の作家の知られざる足跡を辿る。

『週刊 読書人』2009年4月3日(金) 「日本図書館協会選定図書週報」 より

世俗排し本質突く魅力
檀文学はもう一度読み直す価値がある。

 岐阜女子大学名誉教授の相馬正一さんが、檀一雄(1912〜1976年)の評伝『檀一雄 言語芸術に命を賭けた男』(人文書館)を出版した。過去に書いた太宰治、坂口安吾に続き、自ら「無頼派三羽烏(さんばがらす)」と呼ぶ作家たちの評伝を完成させた相馬さんに、無頼派文学の魅力を聞いた。
(川村律文)
 無頼派をよく知るのは、やはり無頼派だった。太宰の近親者や井伏鱒二ら、関係者の聞き書きを行い、『若き日の太宰治』(筑摩書房)をまとめていた相馬さんが、坂口安吾の研究に取り組むようになったきっかけは昭和43年。「太宰をやるなら、一度太宰を離れて安吾の側から眺めた方がいい。太宰と安吾は裏と表のように見えるが、実は非常によく似た作家だ」という檀の勧めだった。上越教育大学に勤務しながら進めたこの研究は、2006年の『坂口安吾 戦後を駆け抜けた男』(人文書館)などに結実した。
 ただ、研究を進めていて気になったのは、太宰と安吾とを結ぶ檀の存在だった。改めて檀の生涯と作品を追っていくと、家庭を顧みない生き方や、その作風を含め、太宰や安吾と類似した「一本の血管でつながっている作家」という印象が強くなった。
 「檀は作風としては太宰に、処世は安吾に近いというのは、調べていて強く感じた。檀も安吾も豪放磊落(らいらく)に見えて、非常に神経が細やか。繊細で浪漫的な太宰が一番図々しいと思えるほどです」。通常「無頼派」の3人といえば、太宰、安吾に加え織田作之助を挙げることが多い。あえて檀の名前を入れたのは、3人が昭和10年代から交流を続けてきたからでもある。
 一足先にデビューした安吾に続き、昭和10年代に3人の才能は本格的に花開く。戦争が近づく中で、文学は国策文学中心に変化していくが、国策文学を書かなかったことで戦後に注目され、「無頼派」「新戯作派」と呼ばれて戦後文学の一時代を築いた。
 「無頼派というのは、自分に正直に生き、正直に書くこと。戦後に掌を返したように態度を変えた人たちを、彼らは便乗主義者として批判した。世の風俗や常識を否定して純粋に文学を追究した結果、世間からは逆にまともでない、無頼と呼ばれた。彼らは否定しなかったけれど、自分たちで言ったわけではない」
 また、3人のもう一つの共通点として、相馬さんは「詩情豊かで、無駄のない文章を書ける才能」とその文章力を強調する。3人とも妻や編集者に口述筆記をさせていたが、書かれた文章にほとんど手を入れずに済むほどの名文家だった。「3人とも長編よりも短編がうまい。書きたいものを書く、くだらないものは書かないという文章に命をかけた点も、共通しています」
 太宰、安吾という無頼派の両巨頭が現在でも読まれ続けるのに比べ、檀一雄の作品は入手が難しくなっている。「檀は母親と早くに別れたせいか、あきらめが早くて控えめ。自己宣伝は下手だった」と相馬さんは分析する。今回の『檀──』に作品を多数引用したのは、檀文学にもっと触れてほしいという思いからだ。
 「太宰のいい短編と、檀のいい短編は、優劣をつけがたい。もう一度見直されてもいい作家だと思っています」
 今年は太宰の生誕100周年にあたり、改めて無頼派の文学に光が当たっている。現在でも無頼派文学が読まれ続ける理由を、相馬さんはこう語った。
 「社会的な常識や風俗を否定した無頼派の文学は、人間や社会の本質を見抜いたもの。世俗を排除しているから、時代が変化しても魅力を失わない。この3人は、言語芸術に命をかけた“文士”と呼べると思う」

『読売新聞』2009年3月4日(水) 文化欄 より

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詩的真実に命を賭す

 著者は太宰治研究の第一人者であり、太宰関連以外では、坂口安吾、井伏鱒二、島崎藤村らについての評論がある。その著者が太宰文学に隣接して屹立する檀一雄という山並みの谷や頂きを踏破したのがこの一冊『檀一雄 言語芸術に命を賭けた男』である。丹念な記録と批判もまじえた考察によって読みごたえのある一冊となっている。
 檀一雄は、明治45年に福岡県柳川に生まれ、同郷の詩人・北原白秋を耽読。学生時代から創作活動を開始。太宰の作品に心惹かれ、太宰もまた檀作品の「純粋刹那の愛と美」を評価し、二人は深い友情を結ぶ。そうした若き日の短編を集めたのが処女作品集『花筐(はなかたみ)』である。著者はここに檀文学を特徴づける〈奔放自在なリリシズム〉の発露をみている。  こののちも、世に知られている長編とは別に短編に着目して「檀文学の醍醐味はメルヘン風の詩情豊かな短編に伏在している」と指摘している。
 著者は、病弱であった妻・リツ子への愛をつづった『リツ子・その愛』、海辺の村の若い女・静子への思いをつづった『リツ子・その死』を取り上げ、檀文学の登場人物が実名であるからといって、物語が事実だと思ってはならないと説く。
 遺作となった長編『火宅の人』も、妻がありながら女優と同棲した実人生に基づいて描いたものだが、著者は、檀の「いっそ、私は私らしい人間を飄蕩(ひょうとう)させ、(略)もう一度出直させてみたかった。出来得れば、その修羅のただ中で、正覚(しょうがく)が得たかった…」という一文を引き、檀はあくまでも〈詩的真実〉を追究していたとしている。
 また、「檀一雄は、いわゆる良風美俗を建前の偽善として退け(略)、ひたすら本然の人間存在(実存)に執着して生きた奔放自在な吟遊詩人である」と述べている。
 500ページを超える大冊である。檀作品からの引用も多く、これまで知らなかった檀の作品を堪能しながら読み進んだ。折にふれて紹介されている檀の詩も情感にあふれていてふと立ちどまることとなる。
 太宰、安吾と書き継いできた著者にとってもことさら思いをこめた労作であるに違いない。巧みな構成によって、みずからの肉体を賭して魂の叫びを迸らせようと悪戦苦闘した作家の姿を鮮やかに浮かびあがらせている。著者はそうした檀一雄の境涯と作品に限りない愛着をこめてこの大冊をまとめ、「文学とは何か、人間とは何か」という問いを私たちに熱くつきつけている。

藤田晴央(詩人、弘前市在住)

『東奥日報』2009年2月14日(土) 文化欄 より

“放浪の作家”檀の64年間におよぶ数奇な生涯

 太宰治研究の縁で檀一雄と面識のあった著者が、“放浪の作家”檀の64年間におよぶ数奇な生涯を、数々の作品と絡めながら丹念に読み解いた。幼くして生き別れた生母トミに抱く複雑で生々しい感情と再会後の甘え、太宰や坂口安吾らと過ごした退廃的な時代の絶望感、『リツ子・その死』で知られる闘病中の妻・律子に対する温かく、また同時に冷徹でもあった感情──。長女の檀ふみさんも「はじめて知ることばかり」と感想を寄せた力作だ。

『朝日新聞』2009年1月25日(日) 読書欄 より

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