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「米山俊直の仕事 人、ひとにあう。」に関するレビュー

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『朝日新聞』2006年4月10日(月)夕刊「惜別」より
米山俊直の知の遺産〜記憶と記録・記録と記憶


文化人類学者・京都大学名誉教授
米山 俊直さん
「小盆地宇宙論」を提唱


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 「お別れの会」が京都市内で営まれたのは、米山さんが亡くなって10日後だった。一人娘の米カリフォルニア大准教授の文化人類学者、リサさん(46)の帰国を待ったためだ。遺体にはエンバーミング(遺体衛生保全術)が施された。
 リサさんは「父はフーテンの寅さん・車寅次郎を学者にしたような人でした。わがままで、身勝手。でも誰に対しても愛情が深く、気前がよく、権威主義的なところが全くなかった」としのんだ。
 奈良県北部の農山村、旧・都祁村([つげむら]現・奈良市)に生まれ育ったが、中学は東京の自由学園に進学。少年期に村から都会までの多様な文化に出あった。農業経済学を専攻した京都大大学院時代に、文化人類学を研究する米国の留学生と出会ったのが転機となった。56〜60年に米イリノイ大に留学した後、甲南大助教授や京都大教授などを歴任、日本の文化人類学の基礎を築いた。日本やアフリカの農村社会だけでなく、京都の祇園祭や大阪の天神祭など都市の野外調査にも取り組む都市人類学者の先駆けだった。
 民族学者で国立民族学博物館名誉教授の佐々木高明さん(76)は京都大の助手時代から40年以上、親交があった。「心優しく、文章がうまく、学問が幅広かった」。高く評価する功績の一つが「小盆地宇宙論」である。日本文化は単一なものではなく、遠野(岩手)、篠山(兵庫)、奈良のような小盆地が「宇宙」のように各地に点在し、文化の豊かな多様性を育んだと提唱した。
 健啖家(けんたんか)でお酒も好きだったが、2年前の秋、胃の手術を受けた。今年2月5日、出身地の奈良で「小盆地宇宙論」の講演をした後、最後の入院をした。
 妻寿子(としこ)さん(69)は「『大丈夫、大丈夫』というのが口癖でした。好きな研究を楽しみ、前向きに楽天的に生きたと思います」。
 秋には「米山俊直の仕事」と題した著作集(人文書館)が出版される予定だ。

『朝日新聞』2006年4月10日(月)夕刊[惜別]より

*小社刊『「日本」とはなにか──文明の時間と文化の時間』所収「小盆地宇宙論その後」(米山俊直著)、同じく小社刊『米山俊直の仕事 人、ひとにあう。──むらの未来と世界の未来』(米山俊直著)を、参考図書として頂ければ幸いである。[人文書館編集部・注記]

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