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「漢字を飼い慣らす 日本語の文字の成立史」に関するレビュー

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日本語の文字の成立過程を綿密にトレース!

 「漢委奴國王」の金印がもたらされてから『源氏物語』が書かれるまでの約1000年間、われわれの先祖は中国の漢字を用いながら日本語の文字体系と書記方法を確立するため長い暗中模索をつづけてきた。その歩みは著者が言うようにまさに漢字の“飼い慣らし”と“鋳直し”であった。日本書道史でよく知られた「正倉院万葉仮名文書」「薬師寺仏足歌」のほか、正倉院戸籍や古事記写本、和歌木簡などの史料に即しながら、著者は日本語の文字の成立過程を綿密にトレースしていく。

『季刊 書21』No.34〈(株)匠出版〉2009年4月1日発行 書の本 より

著者は音韻体系のみならず、語彙体系も
漢字によって変化したと指摘する。
目の醒めるような指摘である。

 日本語が漢字という難物とどのようにつきあってきたかをふりかえった本で、硬い言葉で言えば日本語表記史である。「漢字を飼い慣らす」とは言い得て妙だが、著者の発明ではなく、恩師の河野六郎氏が講義でよく使っていた言いまわしだそうである。
 日本語表記史の本は十冊以上読んでいて、内容の予想はつくつもりでいたが、本書は違った。類書にない重要な視点が二つ盛りこまれているのである。
 第一は漢字によって日本語がどう変えられたかに注目している点である。これまでの日本語表記史は、漢字をどのように日本語に適応させたかという視点がもっぱらで、日本語の方の変化は偶発的にふれるにとどまっていた。だが、本書は漢字の日本語化を「漢字の飼い慣らし」、漢字による日本語の変容を「鋳直し」と呼び、漢字仮名混じり文の発展を「飼い慣らし」と「鋳直し」のせめぎあいの中でとらえているのである。
 漢字が日本語にあたえた影響というと、撥音(ん)や促音(っ)、拗音(ょ)のような音韻の追加がよくあげられる。現在の日本語の音韻体系は漢字による変容の結果として出来あがっている。
 著者は音韻体系のみならず、語彙体系も漢字によって変化したと指摘する。

 古代日本における漢字と固有語との接触は、固有語の語彙体系を変えてしまう場合もあった。というよりむしろ、現代の私たちが固有の日本語だと思っているものは、実は、もともとの意味用法を漢字という型にはめて「鋳直した」ものだと考えた方が良い。たとえば、文字を「書く」という動詞は、日本語には文字がなかったのだから、固有語には存在しなかった。「かく」という動詞は、「表面をかく(他動詞)」「汗をかく(自動詞)」のような意味用法でもともと存在していた。紙の表面を筆で「かく」動作を漢字という型にはめて「書く」にしたのである。

 目の醒めるような指摘である。同様に古代日本には貨幣はなかったから「買う」という動詞も存在しなかった。「買う」は交換という意味の「換う」を漢字の「買」の型にはめて「鋳直し」したものだという。
 語彙体系が変えられた例としては親族の呼称体系がある。漢語では「伯父」と「叔父」と年齢で区別するのに、大和言葉では「おじ」とひとまとめにすることからわかるように、日本語の親族呼称体系と中国語の親族呼称体系は別物である。漢字によって中国の体系がはいりこんできたことで、日本古来の呼称体系は大きく変化した。著者はこの変化を奈良時代から残っている戸籍という一級史料をもちいてダイナミックに描きだす。この部分は本書の一番の読みどころである。
 第二の視点は視覚的なリズムである。漢字仮名混じり文は単語の互換の部分を漢字、助詞や活用の部分をカナで書くことによって、意識せずとも分かち書き的なリズムが生まれている。すべてカナで書くと区切がわからなくなるので、意識的に分かち書きをして単語の区切を明示しなければならない。
 漢字仮名交じり文のこうした表記システムは一朝一夕に完成したものではなかった。著者は万葉仮名の段階から区切を視覚的に表現しようとする志向が潜み、それがどのように顕在化していったかを各時代の写本を手がかりに論証している。この条もみごとだ。
 本書は日本語表記史に一石を投じるだけでなく、言語と文字の関係についても重要な問題提起をおこなっている。河野六郎の『文字論』以来の本かもしれない。

加藤弘一・文芸評論家

KINOKUNIYA BOOKLOG『書評空間』2008年9月29日 より

評者プロフィール
加藤弘一(かとう・こういち)
1954年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。現在、東海大学文学部文芸創作科講師。石川淳と安部公房に傾倒し、目下。安部公房論を準備している。
1995年から、インターネットで文芸サイト「ほら貝」を主宰。
http://www.horagai.com
著書に『石川淳』(筑摩書房)、『電脳社会の日本語』(文春新書)、『図解雑学 文字コード』(ナツメ社)がある。

木簡も一次資料に成立過程を追究

 日本語を文字で書く──簡単にみえることだが、実は、独自の文字を持たなかった古代の人々の大変な努力により実現したのである。漢字には音(おん)と訓(くん)があり、漢字から生まれた仮名には片仮名(カタカナ)と平仮名(ひらがな)がある。日本語は、漢字と仮名により、世界に稀な、複雑な方法で書き表される。
 古代日本の言語は、口頭言語と文字言語からなる。口頭言語は日本固有の言語だが、初めは文字を持たなかった。そこに文字言語である漢字漢文が中国から直接、あるいは高句麗・百済・新羅を介して伝えられた。漢字漢文は政治・外交、思想・仏教に必要な外国語であった。漢字漢文を使用する過程で、日本化された変体漢文も生み出され、日本語を表記するために漢字漢語の日本的用法が展開し、仮名が生み出された。
 このように、中国文字の漢字は「飼い慣らされて」訓よみを与えられ、日本語の文字となる。また万葉仮名として日本語の発音を表すために使われる中で「品種改良」が進み、片仮名・平仮名が生まれた。そして平安時代に至って仮名文や和漢混淆文(わかんこんこうぶん)の表現法など日本語の文字言語が確立し、古今集や源氏物語、今昔物語集などがしるされた。
 国語学者の著者は、日本語の文字言語の成立過程を古代史・考古学の成果を取り入れ学際的研究により追究する。そして、正倉院文書(しょうそういんもんじょ)や、ここ20年ほどで出土例が飛躍的に増大し言語資料として使えるようになった木簡(もっかん)などを、積極的に利用する。これらの一次資料と、「はれ」の文献である古事記・日本書紀、万葉集、風土記の類とを比較することによって、奈良時代の社会における文字文化の層的な差異を把握できる可能性があると著者は示唆する。
 例えば、正倉院文書には筑前・豊前・美濃・下総などの戸籍が残る。戸籍で人名に使われる漢字や、木簡などで日常的、実用的に使われていた万葉仮名は、記紀万葉とは異なる文字使用の層を示し、平安時代の仮名につながる様相を見せるという。
 本書は、記紀万葉を中心に構築されてきた日本語表記史の見直しを提言する。

石上英一・東京大学教授

『朝日新聞』2008年11月2日(日) 読書欄 より

「現代の日本語にカタカナ語、英語が増えている姿は、
六、七世紀の日本語に漢語が増えていった状況と似ている」

 副題に「日本語の文字の成立史」とあるように、漢字の導入から漢字と仮名による日本語表記の成立までを言語学、歴史学、考古学の各種資料を渉猟して解き明かしていく。
 やや突飛に聞こえる書名の「飼い慣らす」とは、漢字(音、訓)、仮名(平仮名、片仮名)が交じる日本語の複雑な書記方法の成立は漢字を「飼い慣らした末の品種改良だった」という意味。訓よみは漢字の鋳直しであり、漢字を音よみした万葉仮名の品種改良がすすんで「仮名に遷移した」と簡潔明瞭に論をすすめる。
 最初のまとまった文字資料としては推古朝の「推古朝遺文」がある。著者は「六世紀末、大和朝廷は文書作成が増加、漢字を日本語に飼い慣らすいとなみが本格化した」と書いている。「現代の日本語にカタカナ語、英語が増えている姿は、六、七世紀の日本語に漢語が増えていった状況と似ている」とも。
 愛知県立大学教授で木簡研究の第一人者である著者は、紫香楽宮跡(滋賀県)から出土した両面歌木簡の「難波津の歌」「安積山の歌」なども例示して「この二〇年の間に、木簡などの出土物によって従来の日本語表記史は根底から見直されつつある」と将来の発掘に期待する。

臼田捷治

『月刊 書道界』2008年11月号〈藤樹社〉通巻228号2008年11月15日発行 今月の本棚 より

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