ブックレビュー

「国家と個人」に関するレビュー

この本の詳細 →

民衆の悲劇「日本は依然“夜明け前”」

『朝日新聞』 2006年12月6日 12版(第2青森)「しおり」 より

 「木曽路はすべて山の中である」
 この一文で始まる「夜明け前」は、長野県生まれの作家、島崎藤村の代表作として知られる。幕末から明治へ。大きな変革を遂げた日本の社会を、中山道の街道筋にある宿場町で庄屋を務めた主人公、青山半蔵の一生を通して描いた。
 作者の相馬氏は、現代社会と重ね合わせ、国家と個人の関係から、この大作にアプローチした。
 江戸末期に国学を学んだ半蔵は、国家神道に熱を上げ、天皇を中心とした新しい時代に期待を寄せる。ところが、明治政府の官僚による官尊民卑の政治は、半蔵の期待をことごとく裏切るものだった。
 藤村は、人々を救済するため奔走しながら、最後は大きな借財をつくり、生家の座敷牢で悲劇的な生涯を閉じた父・島崎正樹をモデルにしたとされる。
 相馬氏は本書で、藤村のこの作品がいまも読み継がれるのは、「歴史文学の形態を借りて、国家権力に蹂躙される民衆の悲劇に昇華させたから」と指摘し、「日本は依然として“夜明け前”なのである」と結論づけている。
 黒石市生まれの相馬氏は、弘前高校などで教壇に立ったあと、上越教育大などで教授を務めた。太宰治の研究者として知られる。現在は、長野県軽井沢町在住。本書は、信濃毎日新聞に連載されたものに大幅に加筆して出版された。

歴史と文学のための逐條解釈

井出孫六(作家)

『信濃毎日新聞』2006年11月26日 日刊 読書欄より

 『夜明け前』は1929(昭和4)年から1935(昭和10)年にかけて年4回のペースで雑誌『中央公論』に足かけ7年にわたって連載された2500枚におよぶ長編小説である。藤村の全作品のなかでひときわ傑出した作品であるだけではなく、近代日本文学を代表する最高傑作の一つであることを否定するものはいないであろう。
 だが、本書の著者相馬正一氏によれば、『夜明け前』を読破している人は意外に少ないばかりではなく、『藤村詩集』をはじめとして『破戒』『春』『家』『新生』といった作品群について研究者の論評が数多いなかにあって、『夜明け前』の論考が著しく少ないことが指摘されている。ここに、本書が書かれなければならないモチーフの一端が示されているといえよう。
 『夜明け前』の舞台木曽馬籠宿は江戸と京都との中間点、江戸と京都の情報の交叉する空間、そして時代は黒船来航に始まり、さまざまな疾風(はやて)が通りすぎ、歴史に圧し拉れた主人公が狂死するまでの33年。堅牢と思われていた国家が潰われ、数百年踏み固められてきた街道の石畳が雑草におおわれたとき、草莽の地点から見あげた維新の容(すがた)がすなわち「夜明け前」だったとすれば、ナポレオン法典を読み解くのに似た歴史と文学のための精緻な逐條解釈(コンメンタール)の作業が日本近現代文学研究者の手で行われなければならなかった。同郷の作家太宰治を読み解くのに多くの歳月を費やした相馬正一さんこそその作業の適任者であることが、本書で遺憾なく発揮されているといってよいだろう。
 『夜明け前』を壮大な殿堂に見立て、読み返すほどに以前に気づくことなく見逃していた美しい小部屋を発見するといったのはたしか野間宏だったが、近代文学史家の目にも新しい発見が随所にみられる。栗本鋤雲『匏庵十種』の読みこみと藤村自身の明治維新像の基礎。それはまた『夜明け前』制作過程の昭和初年の状況に重ねられ、栗本鋤雲のかげが絶筆『東方の門』へ投射されていくくだりはそのまま「夜明け前」と現代というテーマに連接していく。
 本書によって、『夜明け前』の読者がふえていくことを願わずにはいられない。

今に問う「人間の尊厳」

『陸奥新報』2006年10月29日 日刊 文化欄より

 黒石市出身の相馬正一さんによる評論「国家と個人—島崎藤村『夜明け前』と現代」が人文書館から刊行された。本書は藤村文学の集大成であり、近代日本文学の金字塔となった「夜明け前」を、「国家と個人」という対立軸に焦点を当てて読み解いた文芸評論。著者が2005年に「信濃毎日新聞」で行った連載を増補改訂し、刊行した。
 「夜明け前」は幕末から明治維新にかけての歴史を背景に、木曾街道の宿場に生きる主人公・青山半蔵の悲劇的な生涯を描いた一大長編。国家権力に翻弄される地方の一庶民の視点から、官尊民卑の政策を痛烈に弾劾した文明批判でもある。
 著者は、藤村がこの作品の構想・執筆に取り組んだ昭和初期が、国家による個人の封殺が顕著となっていく点で、作中と酷似することに着目。「主人公が、自分にとっての〈国家〉とは何かと問う悲痛な叫びは、そのまま昭和初年代を生きる藤村自身の問いかけでもあった」と、日本の「近代」を目の当たりにしてきた藤村の創作意図をくみ取った。そして「愚直な〈百姓の道〉」を歩んだ主人公・半蔵の軌跡を追いながら、物語の核心である「人間の尊厳」を問い直している。
 さらに、作品の根底を流れる文明批評を「21世紀日本の官僚機構や政権担当者にもそのまま当てはまる現代的意義を含んでいる」と指摘。「日本は依然として“夜明け前”なのである」と、藤村が自ら生き、描いた時代に向けた鋭い視点を、現代社会に投影させている。

[相馬正一『国家と個人—島崎藤村「夜明け前」と現代』 四六判、224ページ、2,500円+税]

先頭へ