「文化としての農業 文明としての食料」に関するレビュー
筋金入りの地域研究者による、
地球時代の農学とは何かを再検討!
「農業は、文化としての側面を強く持っている。現在ではあたりまえのことのようだが、第二次世界大戦以降65年間、このことは、あまり認識されてこなかった。……」。著者が語るように、農業は文化である。それを構成する一つ一つの作物という視点から見ても、「稲」にかかわる予祝儀礼から田植え、虫送り、収穫に至る、季節ごとに組み込まれた「稲」の豊穣を祈る思いのように、そこには文化が宿っていた。しかし近代のプロセスは、「工業」世界でない、「農業」世界においても、「作物」の中に刻まれた「文化」をそぎ落とし、ふるい落とすプロセスであったともいえる。こうしたなかで、農業にかかわる「文化」は息たえだえになっている。今、農業の再生を考えるとき、農業にかかわるこの文化を想起しなければならない。しかし一方でそうした思いを持つ地域社会の足下に、グローバリゼーションによってもたらされ、歯止めのない海外商品があふれかえっている。この二つのベクトルをどのようにつなぎ、21世紀の農業・農村は新しい意味世界を形成していくのか。
沖縄からアフリカへと周辺社会を歩いた著者が、今度は文明の場としてのフランスや日本をも研究の射程に置き、地球の中の農業の位置をとらえなおそうとする。筋金入りの地域研究者として鳥の目と虫の目の両方の目の重要性を熟知し研究を続けてきた著者が、その研究の上に、地球時代の農学とは何かを再検討する。本書はこのような視点から最近の筆者の論考を中心に以下の三部で構成されている。
第I部 「日本の農業と地域社会の変容」
第II部 「文化としての農業、文明としての食料」
第III部 「日本のアフリカ研究」
以上のように本書は、国家の「農学」を超えてグローバルとローカルの間に身におく新しい「農学」の構築をめざした挑戦的な著作である。しかし挑戦的であるがゆえに、まだまだ埋めていかなければならない論点の整理も多く残されているように思った。中でも本書の中で大きな紙数が当てられた「アフリカ農業や農村」の位置づけが、「文化としての農業 文明としての食料」という魅力的なタイトルとの関係でどのような位置づけがなされているのか評者には少しわかりにくかった。とはいえグローバルとローカルの間で次の時代の農学を真摯に求めていこうとする著者の姿勢にはおおいに共感した。アフリカ、フランスのふつうの農民の時代精神を読み取り、文化へのまなざしに定位して、膨れ上がった文明の中の農業・食料の危機の根源について語りかけてくる。農業や農村に関心を抱く若い世代の読者には是非ともこの本を手にとっていただきたい。
杉村和彦・福井県立大学教授
『農業と経済』昭和堂 2010年1・2合併号 ブックガイド より
農の本源を考える!
京都大学大学院農学研究科教授(生物資源経済学・農学原論専攻)の著者が戦後65年間の社会を振り返り、「日本の農業と地域社会の変容」「文化としての農業、文明としての食料」「日本のアフリカ研究」の三部構成でまとめた。
タイトルと同じ第2部では、食生活の変化・構造転換を産業・経済の側面から分析し、文明としての観点から論評する。また、京都を舞台に都市と農業の関係性を考察。両者を対立してとらえるのではなく、農業を内包する都市のあり方を示唆している。
「農業が日本社会の基盤を経済的に支えることがなくなって約半世紀がたったが、必ずしも農業がなくなることを意味しない。どのような工業国でも、経済大国でも、農業をなくした国家は存在しない」と著者は言う。「農業が消滅したような文明が存続することはなかったし、今後も存続しない」との言葉が警告として響く。
農業・食料の問題は短期的な経済学の側面だけで考えてはいけない。歴史学や社会学、人類学など長期的な科学とともに考え、構築していくべきだと著者は説き、こう指摘する。「世界中のどの文明も、外国からの食料輸入に生存基盤を完全に依存させてしまうところはない。ただ現代日本文明だけが、この危うい道を歩み始めている」
太田裕之
『毎日新聞』2009年10月25日(日) 京都面「京都 読書之森」 より
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農業と地域社会の再生を考察する!
アフリカの大地を、日本のムラ社会を、踏査し続けてきた気鋭の農業人類学者・生物資源経済学者が、緊要な課題としての農業と地域社会の再生を考察する。
『週刊 読書人』2009年10月16日(金) 「日本図書館協会選定図書週報」 より
日本の針路を大胆に提示!
「農業をどのように位置付けていくかは、文明によって異なってくる……日本は外国からの政治的圧力ばかりを問題として対処してきたため、文明としてどのように食料を調達し食料生産を位置づけるかを後回しにしてきた」
「農業が経済生活の中心から離脱していったことによって、日本の地域社会そのものの存立基盤が危うくなってきている。にもかかわらず日本社会は、大きな視点からもう一度地域社会を見直し、農業を位置づけ直す視点を確立できないでいる」
引用がやや長くなったが、文化人類学者の清新な指摘は、農業軽視する理論を鋭く切り裂く。これまで何か割り切れない思いでいた農家にとっては、頭がすっきりとする理論だろう。
著者の学問方法は、地域社会を一つ一つ調べるフィールドワークを基に全体像を把握する。この上で日本の針路を大胆に提示する。一般の政策理論とは大きく異なり斬新である。
現在、わが国では食料自給率などを議論している。著者はこの問題の根底は、現代の市場経済システムが工業製品を前提とし、農産物のシステムは変形せざるを得なかったためと言う。
農業文明から工業文明への変化に伴う問題点を指摘し「食料基盤を外国に委ねるということは明らかに間違っている」と断言する。だが、決して保護主義をとっているのではない。
アジア、アフリカでは食料増産に努めていることを挙げながら、「日本文明の食料基盤を構築するだけでなく、他の文明の食料基盤を支えることができるものにしたい」とも言う。
世界的な視点、フィールドワークによる地域社会の視点──の複眼的な思考は本著の真骨頂である。
『日本農業新聞』2009年8月24日号 読書欄 より
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