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「ピサロ/砂の記憶」に関するレビュー

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『ピサロ/砂の記憶 印象派の内なる闇』有木宏二 著

「影」の側から「内なる闇」に目を凝らす!

樋上千寿(大阪国際大学非常勤講師)

 表紙カバーの全面を覆う、著者本人によって砂の上に付けられたたくさんの足跡の写真は、本書のタイトルとともにまず読者の眼に、すぐには理解されえない戸惑いの感覚を残しながら刻まれるだろう。16世紀、カトリックへの改宗を強制されたイベリア半島のユダヤ人はその土地で生き抜くために表面上の改宗をした後も密かに地下室でユダヤ教の信仰を守り続けるが、そのとき彼ら改宗ユダヤ人「マラーノ」が執り行う祭儀の物音が外部へもれないよう吸収するために床に撒かれていたのが、この「砂」だった。カミーユ・ピサロの生まれたカリブ海の島、セント・トーマス島へと足を運び、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)の床に撒かれた「記憶の砂」を踏みしめることは、実際の身体の移動を伴う旅への真の出発点となるだけでなく、「マラーノ画家」ピサロそのひとと、彼が追究し獲得した「感覚(サンサシオン)」を認識するための思考空間への旅の出発点ともなる。そこはまた、著者が思考を練り直すために幾度となく回帰する地点でもあり、なにより、「マラーノ」の記憶との、肉体を通じた接続地点でもあるのだ。
 「印象派」という、今となっては目新しくもない名称をもつ芸術家集団の本質を改めて著者が問い直すのはなぜか。その問題意識のもっとも根底にあるのは、あとがきで述べられているように、「歴史」の「闇」に隠忍され、忘却され、あるいは葬り去られたいくつもの「声」に注意深く耳を澄ませ、そのような「影」の存在に寄り添い、それらを孤独の淵から救い出すこと、そしてそのことが「来るべき世界の可能性」を拓いていく、との信念である。美術研究とともに著者が取り組んできたのは、キリスト教文明の勝利を主軸に語られてきた西洋史の「闇」につねに押し込められてきた敗者「ユダヤ」の研究、とりわけカトリックの「血の純粋」を徹底して守るために迫害され、存在してはならないものとされてきた「マラーノ」の足跡を辿る思考の旅である。
 2000通を越えるピサロの書簡を始め、膨大な量の文献資料を参照しながら、それでも残る資料の「隙間」。それを埋め合わせるには、「的確な想像を行うしかなくなる」(著者)が、「闇」の声に耳を澄ませるという一貫した信念に支えられつつ、著者自身の人生の過程で身に刻まれてきた現実感覚、そして実際に身体を「現場」に置くという行為によって、つまりその場に身を置くことでこそ初めて聴こえてくる「声」を拾い集めることで獲得された深い洞察力と想像力により、それは「的確な想定」となり、それゆえに決して足取りがぶれることはなく、長大な思考の旅を一字一句たりとも気を抜くことなしに続けることを可能にしているのである。
 「できる限り思考を明晰にすること。そうすれば、君がわたしに描いてみせた世界の中にきっと別の側面をかいま見ることだろう。さしあたりは対象の客観的部分である物の形しか見えない。だが主観的なものが見えて来るようになれば、そして言葉で表現された概念がいかなるものかを理解するようになれば、君はそこに未知なる残虐を見るだろう。(1883年3月7日、リュシアン宛)」(181頁ほか)
 ピサロの死の30年後にやってくる「未知なる残虐」、すなわちナチスの台頭とその後に続く狂気のユダヤ人大虐殺「ショアー」をピサロが知る由もない。にもかかわらず、「未知なる残虐」に備えての芸術のあり方を、一見なんでもない村の風景や街路、驢馬や農婦など、「誰も見向きもしない存在」を「誠実に」描くピサロの絵画から理解するためには、「光を描いた印象派」ではない視点から、つまり「影」の側から「内なる闇」に目を凝らす視点が要請される。そしてそのような「内なる闇」を自然の描写の内奥に「隠忍」させ、近代絵画の向かう先を決定的にした印象派の芸術をもっとも誠実に追究したピサロを通じてこそ、著者の追究する「マラーノの感覚(サンサシオン)」の真意に接近することができ、かつまたそのような研究であるからこそ「来るべき世界の可能性」を切り拓いていくことができると言えるのである。
 「特別な許可がないと入れないから、行っても無駄」と言われながらも、「しかし何も見ずしてけっして無駄とはいうまい」と、セント・トーマス島の施錠された旧ユダヤ人墓地へと迷わず向かった著者に、鉄格子越しに観えたうっそうと茂る雑草と、土へと帰ろうとしている風化した墓石たちは、確実に、その朽ちゆく姿を通じて「声」を発したのだった。

『人環フォーラム No.21』2007年11月20日発行 第21号 67頁・書評 より
(編集:『人環フォーラム』編集委員会 発行:京都大学大学院人間・環境学研究科 協力:同委員会委員長・高橋義人先生)

20世紀美術史の書き換え暗示

宇都宮美術館館長 谷 新
『信濃毎日新聞』2007年2月6日 美術「素描」 より

 美術館の学芸員が出す本は、一般的に美術史に限定されがちだが、この本は明らかにそのボーダーを超えている。私が勤める美術館の学芸員、有木宏二さんに2006年11月18日、吉田秀和賞(吉田秀和芸術振興基金主催。優れた芸術評論の筆者が対象)が贈られた。受賞作は、著者がおよそ10年の歳月を費やして表した評伝「ピサロ/砂の記憶 印象派の内なる闇」(人文書館)である。
 著書を目にしたとき、500ページを超えるその分厚さにまず気押された。学芸員は外からは華やかに見えるかもしれないが、その実、日々の仕事に追われて調査・研究の時間がとりにくく、このような大著・労作はなかなか著すことができない。
 ピサロ(1830-1903)といってもピンとくる人は少ないだろう。印象派の画家だが、たとえばモネやルノワールなどにくらべて、これだけ看過されてきた画家もめずらしい。それは西洋の動向や画家を紹介する日本の近代の構造に胚胎している。美術史家、美術評論家がほとんど重きをおいてみてこなかったのである。他方、ピサロに「猶太(ユダヤ)教の隠忍な潜力」を感じた先覚者もいた。高村光太郎その人であり、著者はそれをプロローグで使っている。戦後でわずかに論評できたのは、亡くなって30年たった美術評論家、宮川淳である。宮川はピサロの生涯にわたるテーマである「道」に注目した。
 さて、いきなりユダヤ教といっても読者にはわからないだろうが、著者はピサロのそのルーツにさかのぼる。カリブ海に浮かぶ小島セント・トーマスがピサロの生まれ育ったところだが、先祖はイベリア半島にあって「マラーノ」(豚)とさげすまれた。その多くは異端審問で火あぶりの刑に処せられたり、いのちからがらイベリア半島を脱出しなければならなかった。セント・トーマス島はそうしたユダヤ離散の地のひとつだったのである。
 ただし詳細は省くが、ピサロが高村光太郎のいうような「隠忍な潜力」そのもので凝り固まっていたとしたら、その後のピサロもなかったろう。著者は反イエズス=カトリックと同時に“ユダヤ教からの離脱”をピサロにみている。神秘、不明瞭な概念からの自由でもある。
 また著者が、膨大な量の手紙まで一つひとつ丁寧に読解し、画家の心境、絵画に対する考え方などを細部にいたるまで克明に拾い上げ説得力ある内容に仕立て上げたことは、この著書がこの厚みを必要とする広く深い土壌のうえに立脚していることを示してあまりある。
 ただこうした人物伝だけでは興味は半減してしまうだろう。全般に表現の問題にも深く介入し、特に初期にコローから教えられる「バルールなくして良い絵を描くことなどできない」が、生涯を通じての表現の指針になる。「バルール」は適当な訳語のない難しい言葉だが、著者は「色彩の明暗の強度」あるいは「けっして一つの色彩で成立するものではなく、相異なる色彩の関係性においてのみ現象する明暗の差異」と丁寧に解説している。それによって絵画の奥行き、遠近、凹凸、(対象の)あるべき位置などが画面に定着されるとみており、近代の表現論としても楽しめる。
 本書は、書評としてはあまり取り上げられなかったようだ。大河ドラマを見るような、時代や専門を超越してしまう大いなる学術書は逆にあつかいづらいかもしれない。感傷主義や、客観性を抑えた主観主義はピサロの嫌うところだった。20世紀はそんなピサロの表現とは違うものになっていったのではないか。
 かつてピサロと同じ風景、似たようなモチーフを描いて表現を競い合ったセザンヌの残した言葉がキュービズム(立体派)の誕生をうながしたのなら、それとはまったく異なるピサロの奥行きによる絵画の復活、あるいはそれにもとづく20世紀美術史の書き換えを暗示したのも、本書の魅力の一つである。

印象派の長老カミーユ・ピサロの封印された出自の秘密

『芸術新潮』2006年3月号(新潮社刊)より

 1830年、カリブ海に浮かぶ小島セント・トーマス島でジャコブ・アブラハム・ピサロ(Jacob Abraham Pizarro)は生まれた。名前からわかるようにユダヤの血、それもスペイン語でマラーノ(豚)と呼ばれた人々の血を引いていた。彼らは表向きキリスト教に改宗しながらユダヤ教の信仰を捨てなかったため、15世紀末にイベリア半島から追放されたユダヤ人たちだった。貿易商の父の意向に逆らい、ピサロは22歳で島を離れ、パリで画家として生きることを決断。名前をカミーユ・ピサロ(Camille Pissarro)と綴りをも変えてユダヤ系の出自を封印した。本書は、「印象派展」すべてに出品し、最後まで印象派に忠誠を捧げたこの画家の評伝だが、出生の秘密に踏み込んでいるのが特徴だ。早くからピサロを評価したゾラは、彼の絵を評して「あまりにも暗いがゆえに、誰も喜ばすことができない」と書いているが、この暗さの底には暴虐に耐えてきたユダヤの記憶が秘められていると著者は指摘する。フランスで反ユダヤ主義の嵐が吹きすさんだドレフュス事件の際には、迫害を恐れ、海外にいた息子たちにユダヤ人差別の少ないデンマーク国籍をとることを勧めたピサロ。静かな風景画に隠された画家の暗部を探り出した労作である。
[有木宏二『ピサロ/砂の記憶』人文書館 本体8400円]

新人の大作、有木宏二の『ピサロ/砂の記憶』(人文書館 2005年)。

徳永恂(哲学・社会思想史)
みすず 2006年1-2月号 読書アンケートより

印象派でありユダヤ系でもあることの意味。同じユダヤ系とは言っても、スーチン、シャガールのような東方アシュケナージ系と、モジリアニ、ピサロら地中海セファルディ系との落差。誰かが開いてくれないかと思っていた待望の扉をそこに期待したい。

ページの向こう 有木宏ニさん 「ピサロ/砂の記憶」

[くらし文化部 横沢修] 下野新聞 2006年2月25日付

その出自から迫る新視点

 表紙は、いくつもの足跡のついた砂の写真だ。海浜か、砂漠か。「ピサロ/砂の記憶」の表題と呼応するが、その意味するところはエピローグまでふせられたままだ。
 著者の有木宏二さんは宇都宮美術館学芸員。先月終了した[版画に見る印象派展]を担当し、印象派の造詣は深い。初の書き下ろしは、美術史を踏まえつつ、全く新しい視点が注がれている。
 ピサロの出自から、本人はもとより、印象派全体の見方も再考しようと試みる。出自とはマラーノ。中世の宗教弾圧によって世界中に散らばった改宗ユダヤ人とも、新キリスト教徒とも言われる存在だ。ピサロは印象派の中心にいながら、これといった特徴のない風景画を描き目立たない。ただその絵は誰より奥行きが正確。作品の特徴やルノワールとの仲たがいなど、特質の源泉がマラーノに結びつけられる。
 「規定しすぎという批判は受け止めたいが、それ抜きにピサロを見ることはできない。もっともっと彼の肉声をきくべきではないか」と有木さんは静かに熱く訴える。
 二千百通に及ぶピサロの手紙を読み込み、約十通しかないユダヤ人としての肉声を丹念に拾い上げた。欧州でも見過ごされてきた視点は、「商品化された印象派」の研究の対極に身を置いて初めて可能となった。
 「今回の書に何か積極的な意味があるとしたら、僕が歩いて確かめてきたことだけ」。その源は、京都大の学生時代にある。学問に垣根を設けない校風の中、美術史を専攻しながら世界的なマラーノ研究者の教授に付いて世界中を調査した。
 六年に及ぶ執筆の最終段階で訪ねたのが、ピサロの故郷、カリブ海のデンマーク領セント・トーマス島。生家の裏にあるユダヤ教会内は一面砂が敷かれていた。祈りの声の漏れを気にせずにすむ今も、マラーノの記憶は受け継がれていたのだ。
 「ピサロはいつも弱者の中にいて、その絵は『僕と君の見ている感覚は一緒だよ』と語りかけている。その目は未来に向けられていた。当時に似た効率優先の現在、印象派を見つめ直す意味を伝えたい」。四百八十ページの重さが有木さんの信念を強く物語る。
(「ピサロ/砂の記憶」は人文書館刊・八八二〇円)

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