「島惑ひ 琉球沖縄のこと」に関するレビュー
いま読んでおいてよかった。
夜な夜な読み進め、昨日の朝、ようやく読了し、そのままずっと、CDで、島唄を、大音量で聞いていました。
何を言っているのか、分からない、けれど、三線と太鼓と唄声が、特有のリズムで、体を、揺り動かす、いや、揺さぶる、おそらく、ちょっと傍迷惑な昼下がりでした。
6月末に、学会の会合があって、北海道の白老にあるアイヌ民族博物館を訪ねました。
そして、それからまもなく、伊波さんの本を手に取り、北から南へと、ぼくの思考も「惑ひ」ました。
まだ、読了してさほど時間が経っていない痩せた思考に、何も強靭な言葉は芽生えていないのですが、ただ、いま読んでおいてよかったと、しみじみ思う本でした。ところどころに挿入される、飲み込まれ、掻き消されてしまっているのかもしれない琉球の言葉が、いまのぼくの頭の中なのか、上なのか、それははっきりと分かりませんが、針のように、突き刺さっているのは確かです。
有木宏二(ありき・こうじ)・東京造形芸術大学准教授・西洋美術史
一族を克明にたどる 浮かぶ沖縄の全体史
著者の伊波(いは)敏男さんは1943年沖縄県生まれで、現在は上田市在住。人権教育研究家として「信州沖縄塾」を開くなどの活動をしている。
曽祖父母から自分たちまで4代の一族の生活を、記憶や証言、記録で克明にたどった。そこから沖縄全体の歴史が浮かび上がってくる。
太平洋戦争では日本国の最前線として民間人も巻き込んだ「捨て石の島」の役割を担わされ、多くの犠牲者を生んだ。6月23日が「沖縄慰霊の日」で、今年も追悼式典で悲しみを新たにした。
4代の人たちが置かれた環境はそれぞれに厳しい。懸命に生きようとした。悲劇も多い。まず著者の曽祖父。琉球王朝の官吏だったが、琉球処分(1879年の沖縄県設置にいたる一連の措置)に抗議して官を辞し農家となる。
2代の祖父は修めた漢学を生かせなかった。加えて、長兄が友人の連帯保証人となったため一族は財産を失う。祖父は酒浸りとなる。
3代の父。幼くして年季奉公に出された。その後、南大東島の製糖工場で働く。サトウキビ農家に転身し、島では有数の篤農家になる。敏男さんが生まれたのも南大東島である。
だが、戦争で軍部がその農地を使うことになり島を離れる。預けた土地の権利証が転売されて土地を失う。今帰仁(なきじん)村での戦後の生活の再建は並大抵ではなかった。
4代目の敏男さんは14歳からハンセン病療養所で治療を受けて全快。偏見や差別をなくすために行動してきた。
「島惑ひ」というタイトルは、沖縄学の父とされる伊波普猷(ふゆう)の言葉から採った。沖縄という島の行く先を見失うことを意味するのだという。
沖縄では基地の重圧が今も重苦しくのしかかったままだ。「いくさ世」に備える風景に伊波さんは胸を痛める。沖縄に犠牲を押し付けてきた歴史と現実を見つめて、変えていきたい。その手掛かりになる本である。
伊波さんの半生記『花に逢はん』は、かつてNHK出版から発刊された。その時の編集者が道川文夫さんで、今は人文書館を経営している。息の合ったコンビで目配りの利いた編集である。
三島利徳(みしま・としのり)・元信濃毎日新聞論説委員・県カルチャーセンター「文章を書く」講師
2013年7月13日、週刊長野(読みたい本・お薦めの1冊)より
抑圧の歴史と未来問う
伊波敏男さんの新しい本が出たと聞いてハンセン病がテーマだと思い込んでしまった。それは、世界にも例がない90年にも及ぶ「強制隔離」という間違った国策の中で、あえてハンセン病だったことを明らかにし、「ハンセン病」と向き合う人生を選択した作家だからである。さらに言えば、ハンセン病に対する排除と抹消の国策が、結果として「ハンセン病問題」を遠のかせ、理解しにくいものにしている現状の中で、今後も「ハンセン病」を書き続けてほしい、との個人的な願いがあったからでもある。
本書は「琉球処分」(1879年)から今日までのおよそ130年に及ぶ伊波一族四代にわたる歴史を「小説的な虚構」という手法も加えながら沖縄の歴史とこれからの沖縄の主体性を問うている。読み終えた時、改めて著者が16年前に表した半生の書「花に逢はん」を読みたくなった。らい予防法が廃止される30年以上も前に18歳の伊波さんは岡山に向かう列車の中で、「らい予防法」の間違いを確信する。14歳で発病後、人生そのものを押しつぶしてきた〈らい〉は、伊波さんの発病前からすでに治る病であることが国際学会の場で確認され、特殊な疾病でも、特殊な法令も要らないという報告がなされていたからだ。
差別には全く根拠がなかったという驚き。しかし、根拠のない差別や偏見は「らい予防法」が廃止され、隔離を認めた同法が日本国憲法に違反するとして提起された国家賠償訴訟において国が間違いを認め、謝罪した今もなお続いている。
歴史に翻弄(ほんろう)され、国家とは何かという問いから一時も解放され得なかったであろう著者が、四代のルーツをひもとく中で、父の、祖父の、曾祖父の、そして彼らとつながる親族が体験した「抑圧や差別の歴史」を見つめなおす。自らの「ハンセン病」を生きた人生から獲得した思想が息づいている。「小さき者」の視点とぬくもりのあるまなざしだ。
沖縄県出身であることによって受ける差別や不利益から逃れるため、故郷をできるだけ消して生きた叔父。借金のため18歳までに7度も売られた父親。常に酒の匂いをさせていた祖父の「世替わり」に対する絶望。家族の歴史を通し、理不尽にもますます軍事基地としての機能が強められていく故郷・沖縄を憂え、読み手に沖縄の未来をともに考えようと呼びかけている。一読を薦めたい。
山城紀子(やましろ・のりこ)・フリーライター
2013年6月29日、沖縄タイムス(読書欄)より
日本は「祖国」か。
──伊波敏男の著書『島惑ひ』(2013年5月、人文書館)も興味深かった。伊波敏男は沖縄県生まれの作家でハンセン病療養施設「沖縄愛楽園」での生活体験がある。その体験を核に過去にも『ゆうなの花の季と』『花に逢はん[改訂新版]』(ともに人文書館)など数冊の著書を出版した。ハンセン病に対する偏見や差別に対峙(たいじ)し、凄烈な人生を歩んできた作者の軌跡は読む者を感動させる。
今回の作品は伊波一族のルーツを解明した作品である。遡(さかのぼ)って曾祖父から作者までの4世代の人々の人生を描いた作品だ。この時代は明治12年の琉球処分から現在までの沖縄の苦難の歴史に重なる。首里王府に仕えていた士族の伊波家が、時代の波に翻弄(ほんろう)される姿を詳細に描いている。多くの資料を駆使した作品世界は沖縄の歴史を語る証言にもなっている。
この時代を背景に持つことによって、作者の視点は絶えず現代と往還し、後書きで記す次のような感慨につながる。「今、私の心の中に新たな迷いが頭をもたげ始めている。果たして、わが故郷の沖縄にとって、日本国は『祖国』と呼ぶにふさわしい国だったのだろうか? と」。この感慨は現在の沖縄の状況をも厳しく告発する。フィクションの力は十分に発揮されているとは思えないが、真実が物語を織り成す作品世界は、やはりこの作者の魅力だ。家族を含んだ人間への愛情に満ち溢れている。
大城貞俊(おおしろ・さだとし)・作家・詩人・琉球大学教授
2013年6月27日、沖縄タイムス(文化面)文芸時評より
抑圧の歴史を浮かび上がらせ、「琉球・沖縄の主体性」を問う。
「島惑(しままど)ひ」とは沖縄学の父・伊波普猷(いは・ふゆう)の造語である。昨年亡くなった琉球文学研究者の外間守善(ほかま・しゅぜん)氏の解釈によると、戦争で壊滅的被害を受けた沖縄を思って絶望的に惑っている普猷の悲しみを反映した言葉だという。
本書の縦糸をなすのは、明治の日本政府による琉球処分(併合)から、沖縄県民の反対にもかかわらず米軍輸送機オスプレイが配備された昨年までの沖縄史。横糸に著者一族の生活史がフィクションも交えて編み込まれ、沖縄が受けた抑圧の歴史を一族4代の物語として浮かび上がらせる。
少年時代にハンセン病を患った著者は、沖縄の療養所から逃げ出して本土に渡り、岡山の療養所併設の高校を卒業。東京の専門学校に学び、社会福祉事業に従事した。ハンセン病回復者であることを自ら名乗り出て、現在は長野県で「信州沖縄塾」を主宰、人権啓発活動に取り組んでいる。
絶望的な状況にも決して屈しなかった著者は、古里に「琉球・沖縄の主体性」を問う。そのまなざしは優しい。
(人文書館・2,625円)
中川克史(なかがわ・かつし)・共同通信社那覇支局
2013年6月16日、山梨日日新聞朝刊ほか(共同通信配信)
『島惑ひ』この国の現状問う
本書は、130年4代にわたる著者一族の生きざまを描いた人間ドラマであり、同時に大国のはざまで翻弄(ほんろう)され続ける琉球=沖縄の苦悩を綴(つづ)った歴史書である。タイトルの「島惑ひ」は沖縄学の父・伊波普猷が、戦争で壊滅した故郷の将来を案じる思いを表すためにつくった言葉だ。
著者はハンセン病を患った体験から、国策の過ちがいかにむごい結果をもたらすかを肌身で知っている。ゆえに、この国のありさまと沖縄の行く末に対する憂いは一層深い。執筆には、教師を引退後も環境や基地の問題で市民運動に取り組んでいる兄の勧めがあった。
「時代の波に翻弄される中、不器用ながらも懸命に生きてきた一族の足跡を辿(たど)ることで、これからの沖縄の進むべき道が見えてくるかもしれない」
泊武士だった著者の曾祖父は琉球処分後、一家8人を引き連れ、今帰仁に移り住む。生計は広大な田畑が支えたが、長男が知人にだまされ、一家は無一文となる。二男の祖父は、父親の厳命でヤマト政府の官職に就くことも禁じられ、生きる場所を見失う。酒に溺れた祖父の借金のかたに、7回も年季奉公に出された著者の父は、18歳で南大東島に渡り、製糖工場の職に就く。ところが苦労して築いた財産を沖縄戦で失ってしまう。だが灰じんの中から再び立ち上がり8人の子供を育て上げた。一方、大正時代にヤマトに渡った父の弟は、沖縄に対する差別から、姓をイナミと変え、沖縄出身であることを隠して生きていくことを余儀なくされる。
特筆すべきは、史実関連のみならず伝統文化や風俗習慣など、多岐にわたる資料を駆使している点だ。その結果、時代背景が詳細に描かれ、実に面白い。
居を構える長野で信州沖縄塾という団体を主宰し、沖縄と、この国の現状を検証する活動を続けている筆者は、「君たちの未来へ」と題した最終章で沖縄の若い世代にこう呼び掛けている。「主体性を失わない集団の尊厳とは何か? 沖縄を故郷に持つあなたたちだからこそ、それを追い求め続けてほしい」と。
具志堅勝也(ぐしけん・かつや)・沖縄大学非常勤講師
『琉球新報』2013年6月16日・書評欄