「島影 慶良間や見いゆしが」に関するレビュー
体験導く「大人の文学」
ガジュマルの根のような堅実な小説
大城貞俊はコクトー(*)のように多才だ。評論、詩、戯曲、随想、小説、いずれも高い水準を保っている。
本書には「慶良間見いゆしが」「彼岸からの声」「パラオの青い空」「ペットの葬儀屋」の4編が収録されている。
ガジュマルの根のような堅実な小説の文体はのっけから読者を作品世界に引きずり込む力がある。「慶良間や見いゆしが」では冒頭から祖父が自殺したという電話が出産間際の孫にもたらされる。
著者の良質のエンターテインメントに魅せられる読者も少なくないから物語の筋の紹介は控えようと思う。
大城文学は作者と何かが常に一体化している。主人公が雪だるまのように転がると周りの人たちがくっつき、世界が巨大化する。沖縄戦やベトナム戦争と庶民が一体化する。あの世とこの世が、また過去、現在、未来が一体化する。いささか古風の文体と斬新な認識が一体化している。このような一体化が読者に「読む」というより「体験する」という感じを抱かせるのだろうか。
「先に逝くよ。許してくれよ。有り難うやたんどう。あの世で、ヒラーラチ(平らにして)、待ッチョークトヤ(待っているよ)。サチナラヤ(先に逝くよ)」という祖父の声(「慶良間や見いゆしが」)や、神ダーリ(神懸かり)し、世の中に合わず、山の洞窟に隔離されたキヨが死んだ後、霊界から冗舌に語りかけるルーチュイムニー(独り言)は恐るべき迫力を持ち、現実をうちふるわす(「彼岸からの声」)。巨大な(戦争の)暗雲の下、懸命にうごめく小さな人間たちには限りないいとおしさが染み込んでいる(「パラオの青い空」)。ペットの不思議な火葬の描写には戦死者のイメージが彷彿する(「ペットの葬儀屋」)。
読者が「世界を体験する」要因は「一体化」のほかにこの4編の作品に沖縄本島北部の夢のような美しい自然が溶け込んでいるからだろうか。流行の前衛性や奇抜さはないが、がっしりとした「大人の文学」になっている。
又吉栄喜(またよし・えいき)・芥川賞作家
2014年1月18日、沖縄タイムス(読書欄)より
*コクトー 近代フランスの代表的芸術家、ジャン・コクトーのこと。