ブックレビュー

「昭和天皇と田島道治と吉田茂」に関するレビュー

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日本経済新聞社客員 坂口 昭

『早稲田学報』2007年1月15日発行 通巻1161号 より

 「億兆塗炭ノ困苦……ヲ念フ時憂心灼(や)クガ如シ」「朕ノ不徳ナル、深ク天地二愧(ハ)ヅ」
 驚くべき率直な現状認識と反省、そして謝罪の言葉の羅列である。全文506字。心に響く名文である。未公表に終わったこの詔勅草案の起草者は、戦後新発足した宮内庁の初代長官・田島道治である。政情混沌、日本の命運定まらず、天皇退位論があげつらわれる中で、田島はこれを書き上げ、扱いを政治の裁断に委ねた。
 政治は明確に公表を否と断じた。内外情勢の推移と宰相・吉田茂のゆるぎない天皇退位反対の意思が要因である。出番を失った草稿は田島家の奥深くにしまわれ、長い眠りに就く。その眠りを醒まし、光を当てたのが加藤恭子氏である。この一級史料と呼ぶべき草稿の発見はどのようにして行われたか。そのいきさつはスリリングである。また公表を否とした政治的曲折はドラマに満つ。著者は豊富な資(史)料を使い、多彩な人物を登場させながらその展開を活きいきと描く。

小林章夫(上智大学英文学科教授)

『ソフィア』第216号 2006年12月3日発行 2005年冬季 第54巻第4号 「ソフィアンの本棚」より

 一つの資料が発見され、これがきっかけとなって人間や時代の隠れていた一面が明らかになる──そうしたことはいつの世にもある。あるいはこうした新発見によって、定説が一気に覆ることもある。これもまた今まで何度もあったことだろう。しかしそうした場に居合わせることができる人物は、当然ながら限られている。著者はそのような、ある意味では「幸運な」一人だったのかもしれない。だが、その幸運を契機として、発見された資料を丹念に読み解き、時代や人間との関わりを明らかにしていく作業は、決して楽なものではない。時間と労力、そして細心の注意を必要とする。
 宮内庁初代長官田島道治が書き残した未発表の資料、いわゆる「田島家資料」と出会い、それに至る経緯とこの資料の内容を検討した結果を、著者は2002年から2005年にかけて、雑誌や書物によって精力的に世に問うてきた。中でも雑誌『文藝春秋』(2003年7月号)に掲載された「昭和天皇 国民への謝罪詔勅草稿──封印された詔書草稿を読み解く」には大きな反響が寄せられ、この年の文藝春秋読者賞を受賞したことは記憶に新しい(ちなみにこの雑誌原稿はやがて『昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見』にまとめられ、2003年12月に文藝春秋社から出版された)。
 田島家資料とは田島道治が書き残した日記(昭和19年から死去した43年まで、小型手帳25冊)と、この田島が折々に書いたさまざまな文書からなるものである。皇室の舵取りを任され、皇室をはじめとして多くの政治家や著名人、あるいは占領軍の重要な人物たちと接触のあった田島だけに、彼が残した日記やメモの類には、戦中から戦後の激動の時代を、そのいわば前線で見聞した数多くの重要な証言が含まれていることは容易に予想できることである。そして著者はこうした貴重な文書をもとにして、すでに2002年には『田島道治──昭和に「奉公」した生涯』(阪急コミュニケーションズ)という、優れた伝記を世に送っていた。
 今回、新たに書かれたこの書物は、こうした田島家資料(その中には新発見の資料もさらに含まれている)をもとに、戦後日本の歩みを決定づける上で重要な働きをした昭和天皇と吉田茂の足跡を田島との関わりから跡づけたものである。もちろん田島を通じての皇室と吉田との関係には、当然ながらマッカーサーをはじめとする占領軍幹部の動向も絡んでくるし、皇室、宮内庁関係者、田島の友人たちの存在も逸するわけにはいかない。しかも時代は戦後の混乱期、占領軍による支配からやがて戦後日本の独自の歩みが始まる時期であった。
 こうした波乱に富む、そして複雑な状況の中で、田島が占領軍との交渉に奔走し、あるいはときとして意見の相違を見る吉田茂と対立し、さらには宮内庁内部の人事問題にも苦慮する姿には、まさに傑物の面影を感じざるを得ないし、特に昭和27年に発表される、昭和天皇のいわゆる「おことば」を作成するに当たって、どれほどの配慮をおこなったかを見ていると、その苦労がいかほどのものであったか、想像を絶する思いに駆られるのである。その意味で、本書の第十一章「『おことば案』に到るまで」と第十二章「おことば案をめぐって」は、特に今回新たに発見された4通の草稿を含めて、すでに著者が発表した内容を絡めつつ、最終稿に至る過程を実に丹念に読み解き、解釈を施しつつ辿ったものとして、本書の中核をなすものと言えるだろう。
 けれども同時に、本書が優れた読み物となっているのは、戦後の混乱期に皇室の舵取りを任された田島の足跡を辿るのみならず、この人物の人となりを簡潔に読者に伝えている点にもある。それはすでに発表された伝記に詳しく述べられているのだが、本書ではそのエッセンスを読者に伝えつつ、田島の日記などに書かれた何気ない言葉の裏に、この人物がどのような気持ちで時代を生き、天皇と向かい合い、首相と手を携えつつも、ときには対峙することも辞さなかったか、その様子が生き生きと伝えられる。
 いや、それだけではない。筆者はまだ若かったとはいえ、この時代の記憶を持っている人物であって、その意味である時期まで田島と同時代を生きていたし、田島家資料とかかわる過程で、田島がつくり、育てあげてきた明協学寮とその寮生たちと交流を深めることになった。そのことが、この書物の成立に大きな役割を果たした点にも重要な意味があるだろう。
 新資料の発掘自体も大きな事件だが、それをめぐって時代の諸相を詳しく描き、さらにその中心にいた人物の衣鉢がどのように受け継がれたかにまで説き及んだ本書は、著者の丹念な取材と幅広い視点に立つ叙述とによって、単なる資料発見の物語に留まらず、優れて人間味に溢れた書物となったと言うべきではないだろうか。

『清流』2006年8月号 「新刊案内」から

 フランス文学を専門とし、日本エッセイスト・クラブ賞をはじめ数々の受賞歴に輝く著者が書き下ろしたノンフィクションである。
 書名にある田島道治(みちじ)とは敗戦から三年後の昭和二十三年に芦田均によって、宮内府長官に任命された人物。本書は、初代宮内庁長官として皇室の舵取りを任されたその田島が書き遺した未発表の新資料を加え、昭和天皇を頂点とする吉田茂と田島の関係を読み解くものである。
 特筆すべきは、昭和二十七年の式典で読み上げられた天皇の「おことば」以後、実に五一年も経って田島の遺品のなかから出てきた「謝罪詔勅草稿」である。著者はこの草稿こそ、田島が感じ取った昭和天皇の真の苦しみのお気持ちを伝えるものであると解く。本書は、「戦後の原点」とは何かを考察する好著である。

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