「G米軍野戦病院跡辺り」に関するレビュー
記憶を語る言葉
〔前文省略〕大城貞俊「G米軍野戦病院跡辺り」(『G米軍野戦病院跡辺り』08年4月・人文書館)は負の遺産としての沖縄戦の記憶を戦後38年目に行われる遺骨収集の場面に設定して提示して見せる。
作品は10章から構成されるが、スパイ容疑で殺された二世のヨナミネ、自らの戦争体験をいっさい語ろうとしない忠栄、発掘現場に座り込んで、ある事件の目撃者として忌まわしい記憶に泣き喚く老婆、ヨナミネを殺害しようと謀議していた旧日本兵、等を登場させながら、沖縄戦の闇を鋭くえぐり出そうとする。
主人公は和恵。戦後に生き残った和恵と弟の秀次は、G米軍野戦病院のテントの中で死んだ母トシと妹孝子の遺骨を掘り出すために病院跡に出向いた。しかし和恵は収集の意味を問う。
「遺骨を持ち帰るためにやって来た。それは確かなことだ。しかし、それは、なんのためだったのだろうか。記憶を断ち切るためだったとすれば、それは間違いではなかったか」
遺骨収集は戦争の記憶に終止符をつける行為では決してない。封印しなければならない記憶と封印してはならない記憶。おそらく和恵は沖縄戦の記憶を封印せずに生きてゆくのであろう。
沖縄でも戦争の風化が叫ばれて久しい。戦後50年を境にその傾向は一段と激しくなった。和恵のようにどれほどの人々が戦争の記憶と向き合ってくれるのだろうか。この小説はそうした現実への警鐘とも取れるのだが、しかしその一方で、沖縄戦をテーマにした文学作品のあり方も問われなければならない。
たとえば、ヨナミネを殺害しようと謀議していた旧日本兵の闇を覗いてみたい。そこには五味川純平が描いた『人間の条件』と等質の論理がゴロリと横たわっているはずである。
松下博文・筑紫女学園大学教授
『毎日新聞』[西日本版]2008年6月21日(土)文化欄
「ことばの森から 小説編〈4〜6月〉」より
記憶の土、記憶の海
今年の4月に刊行された本書には、表題作のほか、「ヌジファ」「サナカ・カサナ・サカナ」「K共同墓地死亡者名簿」の計4つの短編が収められている。いずれも「G村」の人々による、戦没者の弔いと記憶をめぐる物語である。
とりわけ印象深い「サナカ・カサナ・サカナ」の世界では、記憶は魚であり言葉だ。娘の米兵との結婚に反対し、その理由を言葉にしようとする徹雄。それは巨大な魚を釣り上げると同時に果たされるのだが、徹雄の言葉に抗うかのように、魚は釣り糸を切って海へと帰る。一方、ずっとねじれていた言葉はついに本来の姿を取り戻し、徹雄の孫に伝わった。「サカナだー」
生活のためにわずかな土地を耕す人々。遺体の埋葬のため、あるいは遺骨を探すために土を掘り続ける人々。亡き家族の話をしながら釣りをする兄弟。掘り返すのは土だけではなく、手繰り寄せるのは釣り糸だけではない。彼ら彼女らは、いつしか記憶の土を掘り、記憶の海から糸を手繰るのだ。戦争に「食われた」者の弔いと、彼らをめぐる記憶の想起とが、生の営みの中心にどうしようもなく在ってしまう。そのことの優しさと哀しさ。
「ヌジファって言うのはね、その土地に縛られているマブイ(魂)を解き放つことだって」
話すことが放すことなら、物語を話すことは一種のヌジファとなる。語り手たちは、想いを解き放とうとしているかのようだ。死者の、何より残された者の無念の想いを。そのような語り手に添う作者は、ユタの如く仲介者であろうとしているようにも見える。その身ぶりは、書くことによるヌジファの様相をも帯びてくる。ただしそれは、過去の清算とはならない。書かれた/掻かれた/欠かれたものは、文字どおり傷跡なのだから。そこには、未だ見出されない遺骨、縛られたままのマブイ、今なお戦地に赴く米軍、そして死亡者名簿に残る空欄もまた、しっかりと刻み込まれている。
決して大きくはない声、しかしどこか決然とした声で、大城の言葉は語りかけてくる。私は、私の時間に私の場所で、その声に静かに耳を傾けよう。
下門鮎子・東京大学大学院博士課程在学
『琉球新報』2008年6月8日(日)読書欄より
暮らしに潜む戦争の傷跡
戦後という時代を確かなものとするためには、人々がその日常の中で、戦時を過去のものとする術を身につけなければならない。表向きには戦闘が終結したとしても、日々の暮らしが過ぎ去らざる痛みとともにいとなまれている限り、そこはまだ「戦場のまま」なのである。
本書は、沖縄におけるその意味での戦後の成り立ち難さを再認識させる作品集である。4篇の小説は、それぞれに個別の物語を語りながら、相互に呼応し合っている。舞台はいずれも沖縄本島北部のG村。人々は、「戦後」数十年の歳月を経てなお、戦時の出来事に向き合い、死者たちの声に、あるいはその沈黙に戸惑いながら生きている。
そして、それぞれに記憶との折り合いをつけ、時の流れに節目を与えようと試みる。例えば、野戦病院の墓地に埋葬された遺骨の収集によって、土地に縛られた死者の魂を解き放つ儀礼(ヌジファ)によって、米兵との和解によって、あるいは父の遺した「共同墓地死亡者名簿」を「村」に委ねることによって。
しかし、死者を供養しようとすればその傍らに別の亡骸が姿を見せる。ひとつの鎮魂の試みは、封印されていた別の暴力の記憶を呼び起こす。引き継がれた「名簿」にはまだ空欄が残されている。過去を過去のものとして受け止め直そうとする作業は、達成されるかに見えてどこかに綻びを残し、謎を抱えこむ。だから人々は、いまだ始まらざる「戦後」を、その「記憶」とともに生きる術を探し続ける。
そして、そのすべてに共通しているのは、戦時の体験をめぐる人々の苦しみが、今この日常を生きることの痛みに結びついていることである。生活の中で直面する問題──離婚であったり、老いや病であったり、娘の結婚であったり──が、ことごとく過去の出来事と結びついて立ち現れる。大城の言葉は、この日々の暮らしを、一つひとつの生を慈しむ思いにあふれている。そのまなざしは優しく、言葉遣いは穏やかである。しかし語られた物語は、この土地に暮らす人々が今も「戦場」を生きのびようとしていることを、確かに伝えている。
鈴木智之・法政大学教員
『沖縄タイムス』2008年5月31日(土)Books「今週の平積み」より