トピックス

2006.12.21

『朝日新聞』文化欄 単眼複眼から
吉田秀和賞『ピサロ/砂の記憶』

印象派 最強画家の闇

四ノ原恒憲 (朝日新聞編集委員)

 ふと印象派の画家、ピサロ(1830〜1903)の絵を見たくなって、東京・上野の国立西洋美術館に行ってみた。常設展示室には、旧松方コレクションに由来する「冬景色」など3点の作品が並んでいた。
 美術史でその名を知り、多くの印象派の美術展で彼の作品を見たことはあっても、他のルノワール、マネ、モネといった画家の華やかな作品の陰に隠れ、地味という感しか残らなかった。そんな作家をわざわざ見に行ったのは、第16回の吉田秀和賞を受けた『ピサロ/砂の記憶』(人文書館)を読んだから。著者は、宇都宮美術館学芸員の有木宏二さん(39)だ。
 500ページに迫るこの大著は、ほとんど風景画しか描かなかったピサロの評伝なのだが、筆者の切り口ははっきりしている。かつて高村光太郎が「彼は文字通り自己を押へつけた畫家(がか)である。其は猶太(ユダヤ)教の隠忍な潜力を以てである」と彼を評したというが、全編を通じて、ユダヤ人としてのピサロという視点だ。
 15世紀末イベリア半島から追放され、マラーノ(豚)と呼ばれた改宗ユダヤ人の子孫。画家としてはフランスで活躍するが、生まれはカリブ海のセント・トーマス島。デンマーク国籍のポルトガル系ユダヤ人という複雑な出自を持つ。
 差別を恐れるゆえ、ユダヤ教にさえ距離を置くが、ユダヤ人のフランス軍大尉の冤罪逮捕に始まり、フランス世論を二分し、ユダヤ人差別の嵐も吹き荒れたドレフュス事件(1894年)の時は、ユダヤ人擁護の筆を執るアナーキストでもあった。
 一見、静かな雰囲気をたたえる風景画。個性豊かな印象派の画家たちを何とかまとめようとし、印象派展に最後まで出品し続けた唯一の画家。白いあごひげを豊かに蓄えた田夫然とした風貌と、それにふさわしい温厚な性格。
 そんな一般的なピサロ観の下に押し隠された「闇」の部分を、有木さんは、豊富な資料と取材で明らかにする。それはまた、とかく「光」にばかり注目されがちな印象派を、違う角度から考えさせてもくれる。セザンヌをして「最強の画家」と呼ばしめたピサロの構図、感覚(サンサシオン)、思想へのこだわりを、「ユダヤ人」とのかかわりで説得的に語る有木さんの文章の力に背中を押され、国立西洋美術館へ向かったわけだ。
 で、どうだったかって。周りに展示された印象派諸氏の作品に比べ、やっぱり地味なんですが、その画面の奥には何か違うものが。なんて思うのは、絵画を見る本来の態度ではないと分かっているのですが……。

『朝日新聞』2006年12月19日夕刊 文化欄 単眼複眼より

2006.12.10

有木宏二先生 吉田秀和賞受賞記念講演
「ピサロとセザンヌ」を開催しました!

2006年12月8日(金)18時から、東京堂書店本店にて、『ピサロ/砂の記憶』の著者・有木宏二先生の講演会が行なわれました。

吉田秀和賞受賞記念講演「ピサロとセザンヌ」

・開催日時
2006年12月8日(金) 18:00〜20:00(開場17:45)

・開催場所
東京堂書店神田本店6階

2006.11.23

第16回吉田秀和賞贈呈式行われる。

平成18年11月18日(土)午後3時30分から、第16回吉田秀和賞贈呈式が行われました。発表記事を以下に紹介します。

第16回吉田秀和賞贈呈式

吉田秀和賞に有木さん
水戸芸術館で贈呈式

 音楽、演劇、美術などの分野で優れた芸術評論をした人に贈られる第16回「吉田秀和賞」の受賞者に、宇都宮美術館(宇都宮市)学芸員の有木宏二さん(39)が選ばれ、表彰状と副賞(200万円)の贈呈式が18日、水戸市の水戸芸術館であった。
 有木さんは昨年11月、ポルトガル系ユダヤ人の印象派画家、カミーユ・ピサロ(1830−1903年)の評伝「ピサロ/砂の記憶−印象派の内なる闇」を発表。画業の奥に潜む「闇と光」に迫ったことが評価された。
 有木さんは「日本では、美術史をユダヤ人の側から見ることが少なかった。今回の受賞をきっかけに、こうした研究が市民権を得られれば」と話した。 
(生島章弘)

東京新聞 2006年11月19日 より

吉田秀和賞
有木さんに表彰状、賞金

 優れた芸術評論に対して贈られる第16回吉田秀和賞の贈呈式が18日、水戸市五軒町の水戸芸術館で行われ、宇都宮美術館学芸員の有木宏二さん(39)に表彰状と副賞の賞金200万円が贈られた。
 有木さんは大阪市生まれ、京大大学院修了。受賞作の「ピサロ/砂の記憶—印象派の内なる闇」(人文書館)は、印象派の中心的画家の一人で風景画を数多く描いたカミーユ・ピサロの生涯を取り上げた。15世紀にイベリア半島を追放されたユダヤ人の子孫であるピサロの背景を踏まえ、書簡集など膨大な資料を基にセザンヌやルノワールらとの交流を検証。従来の印象派研究に新たな視点を加えた労作と評価された。
 同賞審査員で作曲家の林光さんは「明確な主張に貫かれ、一気に読み通した。印象派はまだ語られていない点があると気付かされた。他の作家についても書いてほしい」と祝辞を贈った。
 有木さんは「ユダヤ人迫害という陰の部分に注目してピサロをとらえようと試みた。研究を評価していただき、感謝している」と述べた。

茨城新聞 2006年11月19日 地域・県内総合欄より

文化勲章受章思い新たに
水戸芸術館館長吉田秀和氏が会見

水戸芸術館館長吉田秀和氏 今月3日に文化勲章を受章した水戸芸術館館長で、音楽評論家の吉田秀和氏(93)が18日、水戸市の同館で記者会見し、「これまで書くことに孤独を感じていたが、(受章によって)日本の文化を飾る星のような人々の大きな流れの中に、身をひたしていることを強く意識した」と喜びを語った(写真)。
 吉田氏は、水戸芸術館の開館約1年前の1988年12月に館長に就任し、立ち上げに大きく貢献。芸術館の象徴である専属楽団「水戸室内管弦楽団」や専属劇団「ACM」を設置したほか、音楽・演劇・美術の分野で自主企画を中心に事業展開してきた。また、世界的指揮者の小沢征爾さんを音楽顧問に迎えるなど、各分野の優れた人材を水戸に招請してきた。
 「県内外から人が関心を持って集まってくるようになった。これからも開館当初の理念通り、いいものを提供し、市民の芸術活動を充実させていきたい」と抱負を話した。
 この日、優れた芸術評論に贈られる「第16回吉田秀和賞」の贈呈式が行われ、宇都宮美術館学芸員を務める有木宏二さんの「ピサロ/砂の記憶—印象派の内なる闇」が受賞作品に選ばれた。

読売新聞 2006年11月19日

2006.10.23

『米山俊直先生に感謝する集い』開かれる!

『米山俊直の仕事』刊行を記念

 京都盆地をしっとりとぬらした雨が、酷暑に別れを告げた10月1日、京大医学部構内にある芝蘭会館に約190人が集まり、「米山俊直先生に感謝する集い」が開かれた。
 今年3月、75歳で亡くなった米山俊直・京大名誉教授の『米山俊直の仕事〜人、ひとにあう』(東京・人文書館刊)が刊行されたのに合わせ、氏を慕う若手・中堅の研究者たちが企画した催しだった。
 文化勲章受章者の梅棹忠夫さん(文明学)をはじめ、伊藤幹治(民俗学)、岩井宏實(同)、上田正昭(日本古代史)、日高敏隆 (動物行動学)、加藤秀俊(社会学)、木村重信(民族芸術学)、佐々木高明(民族学)、西川幸治(都市史学)、原ひろ子(ジェンダー研究)、上田閑照(宗教哲学)、岩本由輝(東北学)、別府晴海(文化人類学)さんなど、それぞれの学界を代表する人たちが集まっていた。また、財界人の大原謙一郎さん(大原美術館理事長)や、この夏、現職を破って滋賀県知事に当選した話題の「教え子」、嘉田由紀子さんも駆けつけた。
 集いは「想い出を語る」と「縁をつなぐ」の二部構成。第一部は、モーツァルトの「弦楽五重奏曲第三番」が流れる中での幕開けとなった。米山さんがこよなく愛した曲で、交友のあった藤岡郁さんらが演奏した。続いて佐々木、別府、原、伊藤さんら友人たちが、思い出をこもごも語った。
 第二部は杯を傾ける立食形式。共に岩手の遠野を調査した加藤さんが、半世紀ほど前の「フィールド・ワーカーとしての友の思い出」を語ったのを受け、その後、さまざまなかたちで縁を持った方たちが、アフリカやアメリカなどでのエピソードを次々と披露した。
 この第二部では、集いを開くきっかけとなった千ページ余という膨大な分量の著作、『米山俊直の仕事』の刊行のいきさつや、掲載内容が、編集委員会代表の赤阪賢(文化人類学)さんによって、紹介された。
 会場はあちこちで談笑が絶えず、終始にぎやか。故人は「しめっぽいことが嫌いだった」ことから、楽しく語り合うことを目的にしたものにしたいと、企画した呼びかけ人たちの意図が的中した。それはまた、遺族の寿子夫人と娘のリサさんの願いでもあった。
 今回の催しは、遺言によって密葬に終わった葬儀告別式に代わるものとして「ぜひ開きたい」と、いまや教授や助教授になった「教え子」たちが、遺族を説き伏せて実現にこぎつけた。
 米山さんが学生を直接教えたのは、甲南大が6年、京大が17年。京大では、そのほとんどが当時、教養部と呼ばれた専門コースに分かれる前の学生相手だった。教養部の教官と学生の関係は専門コースと違い、一般に希薄といわれる。しかし、氏の場合は普通に言われる先生と教え子以上の密接な関係が生まれた。入学したばかりの学生に対してさえも、偉ぶらない謙虚さと優しさ。それにどんなに立場の異なる意見にも、耳を傾ける包容力の大きさなどが、多くの学生を惹きつけた。それに加え、自らの努力で開設した教科の、学外に出て調査学習する「文化人類学実習」を担当したことから、研究室はいつもクラブ活動の学生のたまり場状態。いわば「米山スクール」クラブ室になっていた。それが氏と学生との絆を深め、自称「米山チルドレン」が数多く育ったのである。
 密葬後に死亡が、初めて公にされたことから、「最後の別れ」を言えなかったという思いを抱いた「米山スクール」の門下生が多かったらしい。そんな折に京大文学部の松田素二さん(社会人間学)、人文書館の道川文夫さんらが、生前に米山さんから頼まれて準備を進めていた『米山俊直の仕事』の刊行めどが秋に決まった。発行日は、米山さんの誕生日の9月29日となっている。それでこの日に「感謝の集い」を開くことになったのである。
 和やかな雰囲気のうちに、会は約3時間に及び、参加者たちはそれぞれに「縁を繋ぎあった」。だれもが「米山さんにふさわしい会だった」と口をそろえていた。「米山スクール生」は、その後も近くの酒場で集まり、師の生み出した概念「社縁」ゆえに、楽しい集いがもてたことを、再認識していた。私もまた、人間だからこそ結べる「社縁」のすばらしさを知った一日だった。
 かつて師として、兄とし、友として慕った米山俊直という先生がいたことを、私は忘れないだろう。

(高橋徹・元朝日新聞編集委員)

2006.10.20

『ピサロ/砂の記憶──印象派の内なる闇』が吉田秀和賞受賞決定!

小社刊『ピサロ/砂の記憶—印象派の内なる闇』の著者・有木宏二さんが、吉田秀和(よしだ・ひでかず)賞を受賞されることが決まりました。発表記事を以下に紹介します。

『ピサロ/砂の記憶──印象派の内なる闇』

有木宏二さん トークセッション有木宏二さん(サイン会にて)
06年2月11日 ジュンク堂トークセッション「いま、印象派がおもしろい!」
撮影:村上フジ子

第16回 吉田秀和賞 受賞作品

有木宏二
『ピサロ/砂の記憶──印象派の内なる闇』
(人文書館 2005年11月刊)

 印象派の中心的画家の一人、カミーユ・ピサロ(1830-1903)の生涯を、15世紀末イベリア半島を追放され、マラーノ(豚)と呼ばれた改宗ユダヤ人の子孫として生まれた出生の原点からたどり、ほとんど風景画しか描かなかった画業の奥に潜む「闇」と「光」の部分まで迫る評伝。
 貿易商人の息子としてカリブ海のセント・トーマス島でデンマーク国籍のポルトガル系ユダヤ人として誕生したピサロは、紆余曲折の末、パリに出て画家を目指す。モネ、セザンヌ、ルノワールらと出会い、それが1874年の印象派結成につながる。その温厚な性格ゆえ多くの友人から慕われ、印象派の結節点ともいえるピサロだが、その内面はキリスト教とユダヤ教にも距離をおくアナーキストでもあった。
 筆者は、膨大なピサロの書簡集を始め、多くの資料を読み込んだうえ、ピサロの一見、静かな雰囲気をたたえているにしかみえない風景画を支える「感覚(サンサシオン)」と「思想」へのこだわりを指摘する。とかく「光」にばかり注目されがちな印象派研究に新たな視点をも加えようとする労作だ。

有木宏二(ありき・こうじ)

1967年大阪市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。現在、宇都宮美術館学芸員。主に西洋近・現代美術の展覧会を担当。専攻は、芸術学。
主要論文に、『流氓ユダヤ』(『あうろーら』、21世紀の関西を考える会)、『マラーノの絵画 カミーユ・ピサロのサンサシオン』(『西洋美術研究 NO.4』、三元社)、『美しき『器』の形象—シャガールとユダヤ神秘主義』(「マルク・シャガール展」カタログ、日本放送網株式会社)などがある。

吉田秀和賞に有木宏二氏
宇都宮美術館学芸員 ピサロの評伝で受賞

 優れた芸術評論に対して贈られる「第16回吉田秀和賞」(審査委員長・吉田秀和水戸芸術館長)の発表会が17日、都内で開かれ、「ピサロ/砂の記憶—印象派の内なる闇」(人文書館)を書いた宇都宮美術館学芸員、有木宏二氏(39)が選ばれた。表彰式は11月18日、水戸芸術館で開かれる。副賞として賞金200万円が贈られる。
 候補作は音楽や演劇、美術など各分野から計125点に上った。審査委員は吉田氏のほか、評論家の加藤周一氏、作曲家の林光氏。
 受賞作は、印象派の中心的画家の一人、カミーユ・ピサロ(1830‐1903年)の生涯をユダヤ人としての出生の原点からたどり、画業に潜む「闇」と「光」に迫る評伝。吉田氏は「セザンヌともまた違う画風とそれを裏付ける人間のあり方を論じた」と評した。
 有木氏は大阪府生まれ。京大大学院人間・環境学研究科修士課程修了。専攻は芸術学。西洋の近・現代美術の展覧会を担当している。

茨城新聞 2006年10月18日 地域・県内総合欄より

吉田秀和賞:有木宏二さんの作品に決まる

 優れた芸術評論を対象とする第16回吉田秀和賞(吉田秀和芸術振興基金設定)が17日、有木宏二さん(39)の「ピサロ/砂の記憶—印象派の内なる闇」(人文書館)に決まった。副賞200万円。有木さんは宇都宮美術館学芸員。印象派の中心的画家の一人、カミーユ・ピサロの生涯を改宗ユダヤ人の子孫という出自から丹念に描いた。贈呈式は11月18日、水戸市の水戸芸術館で。

毎日新聞 2006年10月17日 17時10分 (2006年10月18日付 27面 話題・暮らし)
『MSN毎日インタラクティブ』2006年10月17日 社会・話題より

吉田秀和賞に、有木さんの「ピサロ」

 音楽・演劇・美術などの分野で優れた評論を発表した人に贈られる吉田秀和賞の第16回受賞者が17日、有木宏二さん(39)の「ピサロ/砂の記憶—印象派の内なる闇」(人文書館)に決まった。賞金200万円。贈呈式は11月18日、水戸市の水戸芸術館で。
 有木さんは宇都宮美術館の学芸員。静かな風景画を描いた印象派画家ピサロの内面に、ユダヤ人という視点から迫った点が評価された。

朝日新聞 2006年10月17日 (2006年10月18日付 第3社会面)
『asahi.com』2006年10月17日 文化一般より

吉田秀和賞に有木宏二氏

 優れた芸術評論を対象とした第16回吉田秀和賞(吉田秀和芸術振興基金主催)は17日、「ピサロ/砂の記憶—印象派の内なる闇」(人文書館)を書いた宇都宮芸術館学芸員の有木宏二氏(39)に決まった。賞金200万円。授賞式は11月18日、水戸市の水戸芸術館で。

時事ドットコム 2006年10月17日 社会より

2006.08.18

立花隆氏(週刊文春)、福田和也氏(週刊新潮)、
保阪正康氏(共同通信)ほか、多くの紙誌で紹介!

『昭和天皇と田島道治と吉田茂』 加藤恭子 著

祖国再建 密室のプロセス追う

保阪正康(ノンフィクション作家・評論家)

 本書は、アメリカを中心とする連合国の占領期に、昭和天皇、吉田茂首相、そして田島道治宮内庁長官がいかに「祖国再建」に協力態勢を敷いていたか、それを確認しようとの書である。田島家にのこっている田島道治の日記や種々の文書をもとに占領期の密室の部分を明かそうと、著者は意欲を示している。
 占領期の天皇の心情は、正直にいってそれほど詳しく解明されているわけではなかった。天皇自身、戦後の情勢にしばらくはとまどいを見せていた。しかし昭和23(1948)年6月に宮内府(翌年宮内庁に)の長官に就任した田島は、新しい時代の天皇像を明確にもっていてしだいに天皇の信頼を得た。
 すでに著者によって発表された天皇の「謝罪詔勅草案」は、天皇が戦争の責任に悩む姿を見て田島がその思いを文書化したものと思えるが、結局はこれは公にはされなかった。本書でも田島の日記や文書を引用しながら、東京裁判、A級戦犯の絞首刑判決、退位問題、全国巡幸、講和条約発効時の「おことば」をめぐる動きなどを側近の目から丹念にえがきだしている。著者は田島の側に立ちながらも、不透明な時期の昭和天皇の意思や吉田茂の考えを歴史に位置づけようと心がけている。
 一読してわかることは、この試みは成功している。天皇の心情をくみとり、それに吉田などの政治指導者との交流を通じて、田島自身が象徴天皇という像を現実化することに努めていることが理解できるからだ。講和条約発効時に、天皇が述べた「おことば」は、退位問題に決着をつけ、民主主義を守る覚悟を新たにし、「身寡薄なれども」という語を用いてあらためてその志を明かしている。
 この「おことば」がまとまるプロセスを、田島は丁寧に記録している。草案に至るまでの下書きがのこされていて、どのような点が難航したかが浮き彫りになる。「(下書きのもつ)鋭さが(実際のおことばからは)消え、それぞれの表現が緩和されてなめらかな文章になっている」と著者は書いている。そこに戦後社会の天皇制の出発があったということだろう。(人文書館・2625円)
著者は加藤恭子ノンフィクション・グループ代表、1929年東京生まれ。

『信濃毎日新聞』2006年8月13日日刊 読書欄より

『沖縄タイムス』2006年8月5日朝刊読書欄より──戦後再建のプロセス描く
『岩手日報』2006年8月5日日刊読書欄より──象徴出発を後づけ
『中國新聞』2006年8月6日日刊読書欄より──占領期の「密室」明かす
『福島民友』2006年8月6日日刊読書欄より──祖国再建のプロセス描く
『福井新聞』2006年8月6日日刊読書欄より──祖国再建のプロセス追う
『山陽新聞』2006年8月6日日刊読書欄より──祖国再建の過程 丹念に
『南日本新聞』2006年8月6日日刊読書欄より──戦後天皇制出発の記録
『日本海新聞』2006年8月6日日刊読書欄より──祖国再建のプロセス丁寧に
『秋田魁新報』2006年8月6日日刊読書より──祖国再建のプロセス
『宮崎日日新聞』2006年8月6日日刊読書欄より──「祖国再建」のプロセス
『山陰中央新報』2006年8月6日日刊読書より──祖国再建へのプロセス
『下野新聞』2006年8月11日日刊読書欄より──祖国再建のプロセス描く
『山梨日日新聞』2006年8月13日日刊読書欄より──占領期の祖国再建プロセス
『佐賀新聞』2006年8月13日日刊本・読書欄より──祖国再建のプロセス
『徳島新聞』2006年8月13日日刊読書欄より──祖国再建のプロセス明示
『愛媛新聞』2006年8月13日日刊読書欄より──占領時代の密室部分明かす
『神戸新聞』2006年8月20日日刊読書欄より──祖国再建のプロセス
『岐阜新聞』2006年8月20日日刊読書欄より──天皇制転換点描く
『新潟日報』2006年8月27日日刊読書欄より──「祖国再建」へ協力態勢
『熊本日日新聞』2006年8月27日日刊読書欄より──占領期の天皇の心情 解明

2006.07.18

『朝日新聞』特集 歴史と向き合う
「第2部 戦争責任」に引用掲載

『昭和天皇と田島道治と吉田茂』 加藤恭子 著

「退位」揺れた天皇 史実検証なお途上

 昭和天皇(1901〜89)の戦争責任をどう考えればいいのか。この問題をめぐっては、戦後長く議論が続いてきた。しかも今日なお、決着がついたとは言いがたい。改元からすでに18年。天皇と戦争とのかかわりを事実に即して冷静に問い返すことは、歴史に対する私たちのひとつの責任と言えよう。(上丸洋一)
(中略)──この間、宮内庁長官の田島道治は、天皇の道義的責任を明らかにする声明を発表しようと模索したが、首相吉田茂らに抑えられた(加藤恭子『昭和天皇と田島道治(みちじ)と吉田茂』)。
 52年1月31日、当時33歳だった中曽根康弘が衆院予算委員会で「(退位の)最後の機会として、平和条約発効の日が最も適当」と発言し、吉田茂に「非国民」と退けられた。(後略)

『朝日新聞』2006年7月13日朝刊より

2006.06.29

『週刊文春』文春図書館「私の読書日記」から

『昭和天皇と田島道治と吉田茂』 加藤恭子 著

昭和天皇とマッカーサー

立花隆(ノンフィクション作家)

 ×月×日
 加藤恭子が三年前に出した『昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見』(文藝春秋)は、歴史に残る大発見の貴重な記録だった。最近出た加藤恭子『昭和天皇と田島道治と吉田茂』(人文書館 2500円+税)は、その続編のような本で、同じ田島家資料から、貴重な資料を次々に掘り出している。
 白眉は、東京裁判が判決の日を迎える前後、天皇が歴史のけじめをつけるため、退位の意志を持ちながら、それがマッカーサーと吉田茂の手によっておさえこまれていく過程が、日記、手紙、メモなどで、つぶさにフォローされていくくだり。
 当時、中曽根康弘議員が衆院予算委で退位問題を取り上げ、
「もしそのようなご決断が万一あれば国民や戦争遺族は感涙し、天皇制の道徳的基礎はさらに強まり、天皇制の永続性も強化されるであろう」
 としたのに、吉田首相は、
「天皇の退位を言うものは非国民であります」
 とニベもなく答えている。
 1951年4月、マッカーサーが突然解任された。それまでの天皇とマッカーサーの十回に及ぶ会見はすべて天皇がマッカーサーを訪問する形で行われた。最後の別れに一度くらいマッカーサーが宮城にきてはどうかと田島は依頼した。それに対するマッカーサー側の返答は、「マッカーサーは誰とも会わない。もし天皇が会いたいのなら、朝五時に羽田へ来るように」という屈辱的なものだった。

『週刊文春』2006年7月6日号 文春図書館[私の読書日記]より

2006.06.27

『読売新聞』本よみうり堂から

『昭和天皇と田島道治と吉田茂』 加藤恭子 著

田島の思いが、いたく感動的である。

 貴重な史料を発見すると、とかくその史料の重さに引きずられて、作品全体のバランスを崩しがちなものだが、はたして本書はその弊を免れているか。用いられている新史料は、占領期に宮内庁長官となった田島道治の日記と文書。田島は戦前に金融界で活躍し、私財を投じて学寮を建て有為の青年を育てた。宮内庁を離れた後はソニーの重役となった人物。
 本書が既刊の関連資料や先行研究をよく参照して、知られざるエピソードもまじえながら、占領期の天皇周辺の動きを丹念に描いていることは間違いない。天皇の真情を理解することに努め、それを国民に伝えたいと願う田島の思いが、いたく感動的である。国民に対して戦争の責任をどのようにして負うべきかに苦悩する君主・昭和天皇の姿や、天皇への思いを田島と共有しながら国家の復興・再建を最優先する政治家吉田茂の凄さが、田島の目を通してよく伝わってくる。

評者・戸部良一(防衛大学校教授)

『読売新聞』2006年6月25日付文化欄(本よみうり堂)より

『週刊新潮』[福田和也の戦う時評]で紹介されました。

『昭和天皇と田島道治と吉田茂』 加藤恭子 著

加藤恭子氏の『昭和天皇と田島道治と吉田茂』は、初代宮内庁長官田島道治の日記他資料を発掘し、天皇から国民に謝罪する「おことば案」を発見したことで知られる加藤氏が、田島側の資料をもとにして、吉田茂との交渉をあとづけたものです。多くの発見に満ちていますが、やはり天皇の退位問題が、東京裁判の結審の時、講和条約締結の時など、何度も提議され、議論されていたことは、戦後史を考えるうえで看過できない論点です。

『週刊新潮』2006年6月1日号 [福田和也の戦う時評]より

2006.03.29

岩田慶治先生が、南方熊楠(みなかた・くまぐす)賞を受賞されることが決まりました。

小社刊『木が人になり、人が木になる。 ──アニミズムと今日』の著者・岩田慶治先生が、南方熊楠(みなかた・くまぐす)賞を受賞されることが決まりました。発表記事を以下に紹介します。

2006.3.29 朝日新聞(夕刊)
熊楠賞に岩田さん
 和歌山県田辺市と南方熊楠(みなかた・くまぐす)顕彰会(会長・真砂敏田辺市長)は、29日、第16回南方熊楠賞に、文化人類学者で国立民族学博物館名誉教授の岩田慶治さんを選んだと発表した。5月13日に田辺市で授賞式がある。

『木が人になり、人が木になる。──アニミズムと今日』

第16回南方熊楠賞【人文の部】
選考報告

人文の部選考委員会
委員長  岩井 宏實

第16回南方熊楠賞人文の部は、候補者としてあげられた10名の中から慎重に審議した結果、南方熊楠賞の受賞者に岩田慶治氏を選考した。

 岩田慶治氏は、1922年に神奈川県に生まれ、京都大学文学部、同大学院文学研究科で地理学を専攻され、大阪市立大学教授・東京工業大学教授・国立民族学博物館教授・大谷大学教授を歴任された。
 岩田氏は学生時代から、フンボルト、リッター、ラッツェル、フロベニウスなど、ドイツの近代地理学の軌跡をたどるなかから、地理学から文化人類学へとその研究を展開された。なかでもフンボルトの『コスモス』こそ岩田氏の学問の原郷となるものであった。
 岩田氏は1957年以来四半世紀にわたって、東南アジアの稲作民族の調査を実施された。そこではフィールドワークは相手のふところに入って、外の目を内の目に転じてそこから観察し、記録することにあるとの考えに基づいておこなわれた。
 そうしたなかで、東アジアの文化と日本の文化がきわめて類似していることをみて、柳田国男の『海上の道』などの成果も踏まえて、文化人類学の立場から日本文化の南方渡来の視点を明確にして、『日本文化のふるさと』を著わされた。
 岩田氏の調査は一貫して森羅万象の立場に立つものであった。そして森羅万象すべての中に霊魂が宿るとされた。まさに人間と自然を統合的にとらえ、それを統括するものとして神の存在を考えるという、いわゆるアニミズム論の展開である。それは『カミの誕生』『カミと神』『草木虫魚の人類学』『カミの人類学』等一連の著作に示されている。
 その森羅万象を映し出すのが風景である。すなわち人間・草木・虫魚の営みが風景であり、風景には近景と遠景があり、近景は人間が生活を営む場すなわち現世で、遠景はその現世の背景すなわち他界である。その風景をもととしてコスモスすなわち宇宙が構成されるとされ、新たなコスモスの探求を目指され、『コスモスの思想』を著わされた。
 一方また岩田氏は幼少の頃から荘子・老子に親しみ東洋思想の深遠を知り、そして道元の『正法眼蔵』を通じて仏教的世界観を、さらに賀茂真淵や本居宣長の国学的世界観も合わせて、東洋的宇宙観を把握された。そこからまた森羅万象の映しだす風景を見られるのである。
 岩田氏は19世紀以前の心豊かな西洋思想と、道元をはじめ東洋思想を把握し、洋の東西の思想的深みを自らのものとし、東西合体の新しい宇宙観を展開された学者である。まさに西洋世界と東洋世界を理解し、自然と人間の営みを統合的に把握した南方熊楠の思想と学問との共通性が認められるものである。

田辺市ホームページ 文化振興課 南方熊楠 より

2006.02.26

『ピサロ/砂の記憶』著者からのたより

今年、2006年が、なんと、レンブラント生誕400年!! ということを不覚にも、アムステルダムに来て、初めて知ることとなりました。これも何かのいたずらなのでしょうか。傾いた家並の間を歩きながら、まだ見ぬ翻訳書への想いを熱く塗り替えているところです。それにしてもアムステルダムは恐ろしく寒いです。(今日はアンネ・フランクの家を訪れます。)

有木宏二 26/02/2006

(『レンブラント/光と闇への旅』(仮題) スティーヴン・ナドラー著・有木宏二訳 今秋刊行)

2005.12.26

ジュンク堂書店池袋本店でトークセッションを開催しました!

2006年2月11日(土)19時から、ジュンク堂書店池袋本店にて、『ピサロ/砂の記憶』の著者・有木宏二さんのトークセッションが行なわれました。

〈JUNKU連続トークセッション〉
2006年2月11日(土)19時〜
『ピサロ/砂の記憶』刊行記念
「いま、印象派がおもしろい!」有木宏二

 印象派の明るい空間を散歩していたら、ふと、かすかな声が聞こえてきたのです。「?」と思って横道に逸れてゆくと、闇の世界への入口があって、声はその奥から届いていました。でも、何をいっているのか分からない。だから一歩、また一歩と、ぼくは暗い通路に足を踏み入れてみたのです。闇はどこまでもつづいていました。しだいに声は大きくなり、ついにその声の主があらわれました。カミーユ・ピサロだったのです。彼はこういいました。──じつは印象派には闇があるのじゃよ。さぁ、もっと深いところへ案内するからついて来なさい……。このトークセッションが「印象派の内なる闇」への小さな旅となることを願っています。

会場:ジュンク堂書店池袋本店4階喫茶にて。入場料1,000円(ドリンク付き)。定員40名
受付:ジュンク堂書店池袋本店1階、案内カウンター。電話予約承ります。
ジュンク堂書店池袋本店
TEL 03-5956-6111 FAX 03-5956-6100

『ピサロ/砂の記憶──印象派の内なる闇』

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