『「日本」とはなにか』米山俊直 著
優れた視点の「日本」論
米山さんの遺稿が出版
高橋 徹(ジャーナリスト・滋賀県立大学非常勤講師)
天神祭り・祇園祭りなど、都市の祭り研究で知られた故・米山俊直京都大学名誉教授の遺稿『「日本」とはなにか』がこのほど、東京・人文書館から出版された(四六版、282ページ、2500円+税)。
米山さんは日本の文化人類学の草分けの一人。奈良の農村調査を皮切りに東北地方やアメリカ、アフリカ、ヨーロッパなど国内外でフィールドワークを続けて多様な文化を追い求めながら、常に脳裏にあったのは「日本とはなにか」という問いだった。
それを晩年になって「小盆地宇宙論」という概念に結実させた。京都、奈良などのように、盆地ごとに独自の文化があり、それこそが日本の良さであるという分析だった。
この本は米山さんが「小盆地宇宙論」提起後に書きためていた日本論。地方分権が叫ばれながら、東京文化=日本文化が加速する今、「日本とは」「日本人とは」を改めて考えさせられるすぐれた著作。
『フロンティアエイジ』2007年7月4日(水)より
五月晴れの昼下りに。
横浜・馬車道通り沿いの横浜市民文化会館(関内ホール)で、第80回日本ハンセン病学会総会・学術大会[県民・市民のハンセン病公開講座]が行なわれた。
石井則久先生(国立感染症研究所ハンセン病研究センター生体防御部部長 横浜市大学医学部客員教授)より、公開講座の主眼点が説明され、続いて日野原重明先生が登壇された。
日野原重明先生(聖路加国際病院理事長)は、「シュバイツァー病院を訪れて」と題されて、ノーベル平和賞受賞者のアルベルト・シュバイツァー博士の「生命の畏敬の心」についてや、神谷美恵子先生(岡山県瀬戸内市の国立療養所長島愛生園精神科医長として、島に隔離されて住むハンセン病患者の心の医療に従事した)の「生きがいを感じる心」にふれながら、「人びとのために」生きた二人について、穏やかに語り続けられた。
続いて、日野原先生とWHO感染症担当医務官スマナ・バルア博士(フィリピン国マニラ市WHO西太平洋地域事務所ハンセン病担当医務官)による「金持ちより心持ち」と題する師弟対談が行なわれた。
そして、このたび小社より、『ゆうなの花の季と』を出版された伊波敏男さん(作家)が「ハンセン病回復者の半生—私ができる仕事・伊波基金*への夢」と題する特別講演を行なった。
*「伊波基金」は、伊波さんに支給されたハンセン病療養所者等に対する補償金を基金として、フィリピン国立大学医学部レイテ校で、医療を志す者(クリオン島出身者を優先的に選出)へ、奨学金として活用されている。
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伊波基金について 『朝日新聞』2006年5月8日(月)より
伊波さんのこれまでを、進行役の色平哲郎(いろひら てつろう)医師(長野県佐久総合病院内科 南相木村国保直営診療所長)が、温かく、さわやかに紹介された。色平ドクターは、第一線の地域医療医であり、人呼んで、“風のひと 土のひと”“風の医者”。NHK総合「医の道は村の心に通ず」「ケア、人間として人間の世話をすること」というエッセイなどで知られる。
講演後、伊波さんを囲んで、本の販売とサイン会が行なわれた。
2007.5.19 Photo by Ai
「かぎやで風」伊波敏男オフィシャルサイト
http://www.kagiyade.com/
反響続々と!
『「日本」とはなにか』
“偏見”破る精神のしなやかさ
本書は、日本の文化人類学の草創期を担い、京都大学で教鞭をとった(大手前大学学長も務めた)著者の遺稿集。
表題にあるように、日本とは? 日本人とは? という素朴な疑問に答えるには、日本を知り、世界に出かけ、歴史を学ばなければならない。本書を読むと、日本各地の農村での住み込み調査に始まり、アメリカ留学やアフリカでの現地調査、そして青森県の三内丸山(さんないまるやま)遺跡の縄文文化の考察から、京都や東京をとりあげた都市論まで、その学問対象のフィールドの広さ、深さ、長遠(ちょうおん)な時間に圧倒される。
著者は、文化の時間単位は100年、文明のそれは1000年、という説を述べている。世紀単位で論じられる日本文化と、1000年単位の日本文明。スケールの大きな研究の歩みが、身近な話題や、さまざまな文献からの引用を交え、わかりやすく語られる。
日本文化は単一ではないという「小盆地宇宙論」。アフリカは歴史の無い野蛮地域ではないという「アフリカ学」。貧しい物質文化しか持たない縄文人というイメージを否定した「三内丸山遺跡」。フィールドワークに実証された論点の確かさは、机上の空論とは対極にあるものだ。偏見や歪められた先入観を、軽やかに打ち破るすがすがしさと、多様性を認め合う精神のしなやかさが印象深い。
巻末には、がん死を覚悟した著者が逝去1カ月前に行った最終講義「小盆地宇宙論その後──なら学との関連で」や、親しかった編集者による追想も収められている。一流の学者が残した軌跡と素顔が凝縮された書。(尚)
『聖教新聞』2007年5月9日日刊 読書欄 より
いまひとつのユニークな日本論
米山俊直氏の最終講義『「日本」とはなにか』
日本に文化人類学を根付かせた先達、故・米山俊直氏の『「日本」とはなにか』が、東京・人文書館から刊行された。生前、出版予定であったという「都市列島日本」に、他の遺稿を含めた300ページほどの著作である。副題は「文明の時間と文化の時間」と、「米山学」のたくみな説明になっている。
学問の性格から研究テーマの軸足を、海外に置く文化人類学者は大半である。氏もアフリカ研究に多くの時間を割き、『アフリカ学への招待』をはじめ、異文化関係の著作は少なくない。しかし、それ以上に関心を抱いたのは日本の庶民文化であり、「日本とは、日本文化とは」と考え続けてきた学究だった。処女作が、岩手県の遠野をテーマにした『北上の文化──新遠野物語』(加藤秀俊氏との共著)であったことからもそれはうかがえる。遠野は日本民俗学の誕生に、ゆかりの深い地である。
氏の大きな業績のひとつとなった「盆地を単位に多様な地域文化が形成され、その総体が日本文化」という「小盆地宇宙論」は、遠野がモデルだった。農村生まれで、研究者の第一歩が日本の農村社会の調査だったことも、民俗学に興味を持つきっかけになったらしい。
ただ、従来の民俗学には、都市民への眼差しが乏しく、それをカバーするために氏は、都市人類学を唱え、京都や大阪の祭りを通じて、都市民の研究を深めていった。その成果をベースに日本を「都市列島」という視点でとらえようとしたのが、本書の中心論考である。また、小盆地宇宙論で分析した多様な文化を生み育てたのは、直接的な表現こそ使っていないが、「非農業民を含めた『百姓』(ひゃくせい)であり、その伝統は続く」であろうと期待を述べている。今、注目されている「地方の時代」の励みになることは間違いない。またひとつユニークな日本論が誕生したようだ。
高橋 徹・ジャーナリスト
花ぐもりの日に
米山俊直先生(1930-2006)の一周忌に因んで、米山スクールの面々が、先生縁(ゆかり)の京都・御室仁和寺に参集し、あらためてご冥福をお祈りした。その後、みんなで太秦の米山邸に押し掛けて、冬志子夫人と愛娘のリサさん(カルフォルニア大学サンディエゴ校准教授)を囲み、在りし日を偲んだ。 (2007年4月1日)
仁和寺・金堂を背景に
『「日本」とはなにか』(米山俊直著)刊行によせて
密植された株立ちの御室桜は、まだ蕾のままだが、枝垂れ桜は7分ぐらい咲き、小雀(こがら)が飛び渉っている。4月1日、黄砂の交じった薄曇の境内を通り、満開のミツバツツジを眺めながら先生が眠る御室仁和寺88番札所へ向かう。年相応に年輪を重ねた懐かしい顔が、また、そろっている。先生を偲び感謝する会からもう半年が過ぎた。最終講義【「日本」とはなにか】(人文書館)の出版を理由にして、通いなれた先生のご自宅で飲もうという集まりである。冬志子夫人と春休みで帰国しているリサさん(カルフォルニア大学サンディエゴ校アソシエート・プロフェッサー)を交えて賑やかな会になった。先生とはいつもそうだったように、しゃべりだすと頭の中にあるイメージが整理されて、発想が発想を生み、思い出とあいまって、とめどなくおしゃべりが続く。フィールドから持ち帰った成果を静かにしゃべるというより、フィールドで乗り移られた感情を吐露するところに原点を置くことが方法論だったかと思えるほどの熱気である。かっこよくコメントすれば、「カルチャーショックが新しいフロンティアを開いていく」ということになるのだが、要するに「現場でいろんなことを体験し、感動することがたくさんあった、先生どう思います? 次は、こんなことしてみたい」という思いをぶつけているだけなのだが……。いつものスタイルの、腕まくりした先生がひょっこり顔をだして大きく頷きながら、「それ、面白いから、やってみなさい!」と言われそうな気がする。ほっておけば散逸してしまう若者のエネルギーや才能を集わせ、実習という理由をつけて舞台・広場を作れるひとだった。わたしたち門下生は、それぞれの場で、多くの経験を積み、初めてお会いしたころの先生の年齢以上になった。先生を越えることができるのか、もっともっといろんな舞台を作ることが出来るのかと問い返してみる。いつまでもチュルドレンのままでも許してもらえそうだが、それぞれが形にしてきた小宇宙を新しい切り口で体系化して「米山ロンド」を「学」で括って見せられればと思う。
人はなぜ群れるのか、人々の離合集散の軌跡の交点で形作られるものは何なのか。語り部達の語り合いが新しい「語り」を生み出し、パラダイムシフトした行動案になり、徒党を組んで何かをし始め、人に安心感と満足をもたらすことで広く受け入れられる仕組みなり形なりが出来あがっていく。ちょっと意識を変えることが新しい歴史を刻んでいく。それぞれが培ってきた小宇宙を酒という川の流れで繋ぎ、その川を、先生という拠り所に群れる「仲間」と痛飲しながら、別な流れへと繋げていければ、人類の新しい宇宙が出現するかもしれない。
日本の「祭り」であれ「観光」であれ、オピニオンリーダーとして先生が与えた世の中の流れを思いつつ……。
永井 博記・京大探検者の会事務局長
人間の尊厳を求めて。
伊波敏男さんの文業のことなど
伊波敏男さん 伊波敏男は、ときに雄勁、ときに繊細な筆致で、人間の心を鋭く描出する稀有な文章家である。
少年の日に、ハンセン病に罹患し、沖縄愛楽園で病いの癒える時の時を過ぐるうちに、ハンセン病文学者の嚆矢となった北條民雄の『いのちの初夜』を世に送り出したことで知られる、作家の川端康成に出会い、美しさと哀しみを秘めるその筆力に注目される。
以後、回復全快後に、社会復帰し、福祉事業に従事しながら、文学修行を続け、「いま、ここに、生きて在ること」の人間の尊厳と矜恃を、温かく穏やかな物言いの中に強く訴えている。
その後、長野県上田市に転居後は、各地で息を潜めているハンセン病回復者の内なる声を、手繰り寄せながら発信し続けている。その傍ら、信州沖縄塾を主宰し、その塾長を務めながら、「ハンセン病問題」「沖縄問題」についての執筆活動、講演活動を精力的に行なっている。
現在、鋭意編集中の『ゆうなの花の季と』は、伊波さん独自の詩情ゆたかな文学であり、生きる哲学です。
生きること、生きて在ることへの希望、いのちあるものへの慈愛、人と人が共に生きることを問う「人生の書」として、読者におくりたいと念じています。
[人文書館] 道川文夫記
『ゆうなの花の季と』の出版化について
伊波敏男(作家、信州沖縄塾・塾長)
寒晒し耐えて黙して昏し里
立春 2007/02/04
やんばるに咲く花…ゆうなの花・2 2001.6 掲載 国頭村にて撮影
© やんばる 今年の冬はとても変ですね。雪が降りません。雪かき、雪下ろしの労が少なくていい、と喜んでばかりではいられないようです。近隣の米作り農家の皆さんたちは、もう、田の「水不足」を口にしはじめています。何事にも共通していますが、過ぎたるは及ばざるがごとし、です。
わたし、今、まさにその最中ですが、5月刊行予定の「ゆうなの花の季と」(仮題)を書きあげるために、パソコン画面に向き合う毎日です。
1998(平成10)年に出版された「夏椿、そして」(NHK出版)が、全面的な書き直しをした上で、新しい章をつけ加えて、この5月に人文書館から出版される予定です。
さて、「ゆうな」という植物をご存じない方にご説明しましょう。この植物、和名はオオハマボウと呼び、ハイビスカスの一種です。奄美大島から琉球諸島に群生しており、河口岸などで目にすることができます。ゆうなの花は、陽が昇るころに鮮やかな黄色をまといながら、この世の舞台にのぼりますが、日没前には花の色を橙色に変えしぼんで消えます。まことに儚いデビューの仕方をします。
この「ゆうな」と「夏椿、そして」をむすびながら、本の書き直しと出版を提案して来られたのは、わたしの「花に逢はん」(NHK出版)を、世に送り出してくれた道川文夫氏でした。
髭をたくわえ出版人・道川文夫氏の風貌は、一見すると古武士然としていますが、この方、本に恋いこがれたまま、先般、新しい出版社を興しました。
書き直す機会に、改めて「夏椿、そして」を読み直しました。この本は、熊本地裁判決、政府の控訴断念など、だれもが予測でき得ない以前に出版されました。しかし、この時、わたしはハンセン病問題にかかわる社会状況の変化を、ある程度、予測しながら書きました。
基本軸はいささかの狂いもなかったことに安堵いたしました。社会に向けての発言や文章は、やはり、時間の検証をくぐりぬけないと、真贋の評価はできないとの言葉がありますが、得心をしながら読み返しました。
でも、原稿の書き直しは、とても重労働です。その第一は、「なぜ、このような考え方しかできなかったのか」「どうして、この表現をここで」とか、赤面の連続でした。
いやいや、「夏椿、そして」を読んでくれた皆様、あのレベルの内容でお買い求めくださり、誠に申し訳ありませんでした。そのお返しができるよう、全力を投入します。
あの時、書けなかったこと、その時、見えなかったことがたくさんありました。そして、何よりもわたしの文章力では、その人たちの悲しみには追いつけなかったのです。
やっと、たどり着けました。今でしたら、肩の力を抜き、「病んだ人たちの涙の欠片」の、わずかでも掬えそうです。
乞う御期待を! 「ゆうなの花の季と」(仮題)は、人文書館(東京・渋谷)から、5月10日(刊行予定)に出版されます。
『かぎやで風』遠い人にも身近な友にも(コラム)2007年2月4日 より
かぎやで風
早春の宵に
ピーター・ミルワード先生の自叙伝『愛と無』の出版をお祝いする会が、2月上旬、東京・四谷で行われ、上智大学の“ソフィアンたち”が参集した。
教え子たちに囲まれて
筆者・ピーター・ミルワード先生
訳者・安西徹雄先生
ヨゼフ・ピタウ大司教
小林章夫先生(上智大学英文学科教授)
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